40年間封じ込めた「妹が受けた虐待」の記憶 51歳女性に親の離婚・再婚が残した「罪悪感」

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それならそうと、なぜ子どもたちに事情を説明しなかったのか。父親もなぜ「お母さんはもう帰ってこない」などと告げたのか。おそらくこのとき、本当に離婚をするのか、するとしたら夫婦のどちらが子どもたちを引き取るのか、はっきりしていなかったのかもしれません。とはいえ、何も状況を知らされない子どもたちは、どれだけ不安だったことか。

この頃葵さんは、はっきりした記憶ではないのですが恐らくは父親から、「(両親の)どちらといっしょに暮らしたいか」と聞かれています。父が付き合っていた女性とはすでに会わされて存在を知っていたため、「ひとりになってしまう母親」のほうに行くと答えたそう。

母親は家を出ているあいだに、住み込みが可能な、社員寮の寮母の仕事を見つけていました。葵さんは、父母の別居から数カ月経った小2の途中から、妹とともに母親のもとで暮らし始めます。寮には若い女性が大勢いて、葵さんたちはかわいがられて楽しく過ごしていたそうですが、まもなく寮が閉鎖されることに。

2人の幼子を連れた母親が再び仕事を見つけるのは、容易なことではありませんでした。しかも母親は、中学を出るときに兄の大学進学が重なって高校に進学させてもらえなかったため、学歴は中卒です。そこでお見合いをして、葵さんが小3になるときに再婚をしたのでした。

妹にとってはまったく違う生活だった

母の再婚後の生活は、「私にとっては、楽しかったなという記憶だった」と葵さんは言います。継父とみんなでお花見に行ったり、紅葉狩りに行ったり、「いわゆる普通の家族らしい家族だった」。そう思っていました。

ところが、それから40年近く経った最近になって「妹にとっては全然違う生活だった」ことを知ります。3、4年前、葵さんは実父に会ってみたいと思い、妹に相談をしたところ、「再婚した父親から虐待を受けていた」という話を聞かされたのです。葵さんはそのことを完全に忘れていたため、本当に驚きました。

「どんな虐待だったのかは聞けません。妹は『もう思い出したくもない』と言っているので。私の記憶からはすっぽり抜け落ちているんですが、当時、妹が継父から虐待を受けているのを告げたのは私だ、と母は言っています。たぶん私は、あの時期について『楽しい家族』という部分の記憶だけを残しておきたかったのか。つらい記憶を抱えたまま生きるのがしんどかったから、封印したのかもしれません」

小学校6年のとき、母親と継父は別居します。それは葵さんが母親に、継父による妹への虐待を伝えたことがきっかけでしたが、そのことも彼女の記憶にはありませんでした。

「当時、小2の妹がよく家出をしていたことは覚えています。そのたびに私は『え、また妹がどこかに行っちゃう』と思って、後をつけていました。妹は、すっごい遠くまで歩いていくんですよ。見失ってしまって、警察に保護された妹がパトカーに乗って帰ってきたこともある。顔もわからない実父に会いたいと、1時間近くもひとりで電車に乗って、東京まで行ってしまったこともありました」

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