「そういうことは覚えているんですけれど、じゃあなぜ家出したのか?ということについては、私は覚えていないんです。言われると思い出して、『なんで、私そんなこと忘れていたんだろう?』とびっくりすることもあるし、言われても『ごめん、覚えてない』みたいなこともあります」
虐待を受けた子どもが、つらさのあまり当時の記憶を失っていたり、逆に虐待した親のほうが、自分がしたことをまったく覚えていなかったりする話はよく聞きます。しかし、きょうだいが受けた虐待を忘れている、という話は初めて聞きました。
「同じ家庭のなかで暮らしているきょうだいでも、違う世界を見て生きていることってあるんですね。うちは親が離婚や再婚をして、わかりやすく壊れた“機能不全家族”でしたけれど、そのなかでも私と妹とでは、受け止め方がこんなに違っている。
だとしたら“ふつう”に見える家庭のなかでも、いろんなことが起きているかもしれない。両親がそろっていても壊れている家庭もありますよね。そういう場合はもっと壊れた部分に気づきにくくて、しんどい子どももいるんじゃないかな」
なお母親によると、妹さんは小さいときから育てにくいところがあり、実父もどう扱っていいかわからなかったようです。葵さんは妹のことをかわいがってきましたが、現在でも「ずっと一緒にいるのはしんどい」と感じるそう。
その後、母親と継父は2年ほど別居していましたが、葵さんが中学2年のとき、再び同居することに。最終的には、高校1年生の春に離婚しました。
葵さんは、親の別居中に通っていた中学校がとても楽しかったため、「また戻る」と言われたときのショックはとても大きかったといいます。
妹への罪悪感、父への罪悪感
親の離婚、再婚、再びの離婚。当時の記憶が断片的にしかないのと対照的に、いまも葵さんのなかに強く残っているのは「罪悪感」です。
ひとつは、妹への罪悪感。先ほども書いたように、葵さんは両親が離婚するとき、両親のどちらと暮らしたいか聞かれ、母親と答えました。このとき妹は3、4歳だったため意見を聞かれず、葵さんと一緒に母親と暮らすことになります。
しかし妹はその後、母の再婚相手から虐待されました。それを葵さんは、「自分が母親と暮らしたいと言ったせいだ」と受け止めてしまったのです。
継父による妹への虐待が葵さんの記憶から抜け落ちているのは、もしかするとそのせいでしょうか。加害の意識が強すぎて、無意識に忘れることを選んだのかもしれません。もちろん妹が虐待を受けたのは葵さんのせいではなく、加害者などではまったくないのですが。
実父に対しても罪悪感があるといいます。葵さんはもともとお父さん子で、一緒に暮らしていたときはとてもかわいがられていました。父親は、葵さんだけを連れて遊びに出掛けることもあったそう。
そんな父親が、泣いていたのです。いつのことかは思い出せません。葵さんが「母についていく」と言ったときだったのか、あるいは最後に別れるときだったのか。このときに見た父の涙が、彼女の罪悪感のもとにあるようです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら