まず、オマキザルにトークン(擬似コイン)を与え、これが餌と交換できる「通貨」であると覚えさせる。トークンと引き換えに餌を渡す行動を何回か行うと、容易に学習させられる。さてこの実験では、サントス教授の2人の助手A、Bが、サルに対する「セールスマン」として登場する。サルは、2人のうちどちらにトークンを渡して「取引」をするかを、選ぶことができる。
第1の実験では、助手Aは、ブドウを1粒、サルに見せながら現れる。サルは、彼にトークンを渡すと、見せられた1粒と、さらに追加の1粒を加えた2粒がもらえる。助手Bは、同じくブドウ1粒を見せて現れるが、時には2粒を追加して計3粒をくれ、時には最初の1粒しかくれない。サルにとっての「ブドウの収支」をまとめれば、以下のとおりである。
助手B=ブドウ3粒(確率50%)または1粒(確率50%)
助手A、Bは、それぞれ同じことを繰り返すので、しばらくするとサルは両名の行動特性を覚える。慣れればサルは、助手Aとの「保守的な」取引を選ぶようになる。
第2の実験では、助手A、Bとも、3粒のブドウを見せて現れる。Aにトークンを渡すと、Aは1つを取り上げ、残る2粒のブドウをサルに渡す。Bを選ぶと、時にはそのまま3粒をくれるが、時には2粒を取り上げて1粒しかくれない。これを繰り返して、第1実験と同じようにAとBの特性をサルに覚えさせる。この第2の実験のブドウの収支が、第1の実験と同じであることは容易にわかる。
さて、サルの判断やいかに? サルは、今度はBを選ぶ。
進化の過程で身に付けた本能を克服できるか
サントス教授は、これらの実験から、人間は認知バイアスを進化の過程で身に付けたと論じる。
オマキザルはいわゆる新世界ザル(広鼻猿類)に属し、人類を含む旧世界ザル(狭鼻猿類)とは3500万年以上前に分かれたとされる。出自が3500万年以上隔たったオマキザルが、われわれと同じ認知バイアスを共有するのであれば、人類がわずか数千年程度の文明生活を過ごしたくらいで、この本能的特性から解放されることは不可能である。
これに限らず、人間は、数々の本能的認知バイアスを持つ。これが失敗を招けば、そのときは反省するが、本能的行動ゆえに、未来永劫同じ過ちから逃れることは難しい。サントス教授は認知バイアスを人間の持つ限界と認める。人間の動物としての特性は変わらない。だがそれなら、歴史の本質とは、「人は歴史に学ばないという嘆きの繰り返し」になるのか。それではつまらない。
彼女は、人類は翼はなくとも飛行機を発明し、近視になってもコンタクトレンズで矯正するなど、生物としての限界をさまざまなイノベーションで克服してきたことを指摘している。そして、認知バイアスも、これを人間の持つ限界と理解したうえで、創意工夫で乗り越えてゆくべきであると論じた。
心から賛成する。
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