客観事実と主観認識のギャップを心理学では「認知バイアス」と呼ぶが、これは、人の判断に影響し、時に非合理的な行動を誘発する。
保有する株や不動産を売る際の判断がその例である。投資理論は、「購入価格は忘れ、将来の騰落のみを考えろ」と教える。つまり、いくらで買ったかは関係がない、将来値上がりすると思えば持ち続け、値下がりすると思えば売ればよい、というわけである。
経済学的には当然のことである。買った値段が高かろうが安かろうが、いま手元にあるのは同じ1枚の株券である。支払い済みの購入価格など、忘れてしまったほうがいい。このように、支払い済みの費用を「サンクコスト(sunk cost、埋没費用)」と呼ぶ。「サンクコストは無視し、将来収支だけを考えろ」というのが経済学的な考え方である。
サンクコストにとらわれてしまう人間心理
だが、実際はなかなか理屈どおりにならない。購入価格より安く売れば、その売買で損をするのは事実で、それは嫌だ、と考えるのは自然な感情である。買い値より安くは売らない、という信条を持つ人は多い。その背後に、損失回避の心理があることは、容易に見て取れる。
この心理には「損失回避」だけでなく、さまざまな「認知不協和(矛盾を抱えることによる不快心理)」が複合的に作用する。誰しも、賢い購買者でありたい。高く買って安く売る行動は「賢くない」と認識され、自分のありたい姿に反する。この認知不協和を避けるためにも、買い値より安くは売りたくないのである。しかし、投資理論的には、これは無用な制約条件で、「せめて買い値まで戻るのを待とう」と念じて売り時を逃す、といった行動を誘発する。
こうした認知バイアスはしばしば生じるため、「サンクコスト・バイアス」と呼ばれるが、中でも名高い例は「コンコルド・ファラシー(Concorde fallacy)」である。超音速機コンコルドは、開発の過程で商業的失敗が予見された。しかし、「ここで中止しては、これまで費やした数千億円のコストが無駄になる」との理由で開発が継続され、その結果損失は数兆円に拡大した。ビジネススクールでは、これを教材に、数千億円のサンクコストは無視し、その代わりに今後の追加コストと期待収益の現在価値を比較すべきであった、と教えている。
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