原因がよくわからない「吃音」の不思議な現象 なぜ人は「どもる」のか?
ここで、吃音のメジャーな症状である「連発」と「難発」について触れておきたい。たとえば「たまご」と言おうとした時に「たたたたたたまご」と音が連続して出続けるのが「連発」。一方で、そんな事態を警戒するあまり、「っっっっっっ」と最初の「た」が出てこなくなるのが「難発」だ。キーボードで例えると、連発は最初の「た」と打とうとして「たたたたたた」となる「バグ」のような状態になぞらえることができ、また難発の場合は、「た」を打っても固まったまま文字が出てこない「フリーズ」のような感じなのだという。
非当事者でもしゃべる中で「噛む」ことは日常的にあるが、そこには明確な違いがあるそうだ。たとえば連発の場合、はるかに高い頻度で、同じ音や単語で、より長い時間エラーが続く。
こうした一般的な説明をおさえた上で、著者が最も重視するのが、吃音の当事者に対するインタビューだ。年齢や性別、職業、国籍、症状の異なる人々にインタビュー調査が行われ、彼らの「内なるドラマ」を浮かび上がらせる。
吃音の「ダブルスタンダード性」
ある人は、自分の体が起こした出来事でありながら、どこか他人事として関わることしかできないような不思議な感覚について語る。
“「吃音というのは、言葉を伝えようとして、間違って、言葉じゃなく肉体が伝わってしまった、という状態なんです」”
またある人の話では、「たたたたたた」と連発している状態が苦しいものかといえば、必ずしもそうではないことも明らかになる。
“「楽にどもれている、というか。だから吃音症状は出ますが、吃音で苦しいっていう感じではないですね」”
“「連発も楽しくて気持ちよかったんですよね。しゃべりながら派手にどもる自分にも笑ってしまう」”
もちろん社会的な面での悩みは確かに存在し、そのもどかしさについても各所で触れられる。ただ、そればかり見ていては見落としてしまうことがあるのも事実。全体を通じてひしひしと感じるのは、表に出ている「症状」だけを見て下してしまう判断のあてにならなさである。
この捉えにくさの根底にあるのが、著者の指摘する、吃音の「ダブルスタンダード性」だ。
“つまり吃音においては、連発にせよ、難発にせよ、ひとつの現象が「症状」であり、かつ「対処法」でもある、という二面性を持つのです。ある見方をすればそれは「対処法」として役だっているが、別の見方をすればそれは乗り越えるべき「症状」である。”
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