柴田の訪問から4日後、吉岡はもう話せなかった。その夜は詠美子が吉岡のシングルベッドの右隣に添い寝をした。一人娘はベッドの左側に布団を敷いた。看取り士は抱きしめて看取ることを勧めているが、詠美子もそうしようと決めていた。
「あの夜は眠りが浅くて、約2時間おきに目を覚ましていました。翌朝6時半頃に目を覚ますと、あっ、息をしてないと気づいて、あわてて娘を起こしたんです」
在宅医が来るまで1時間以上かかった。手持ち無沙汰な時間を、詠美子は安堵と悔恨の間で揺れつづけた。
「体の痛みにかなり苦しんで、最後の数日は『早く肉体から解放されたい』って話していて、2日ほど前に勝利宣言をしたんですよ。『俺は肉体から解放されそうだ』って。家族3人でピースサインをして写真も撮りました。
だから『パパ、お疲れ様』という気持ちと、『(最期は)起こしてくれたらよかったのに……』という気持ちが、交互に寄せては返すようでした」
手を触るともう冷たくなり始めていて、母娘で吉岡の両手や両脚をさすりながら、他愛もないおしゃべりを続けた。
「やっと(肉体と痛みから)解放されたね」
「今頃、勝利宣言してるよ」
「(臨死体験で)上から見てるんじゃない?」
故人の体に触れながら本人にまつわる話を交わす時間を、看取り士は「仲良しタイム」と呼ぶ。残された家族が死を受け入れるための大切な時間だ。
体は病んでも心は健やかな人の締めくくり方
4月下旬、筆者は柴田と吉岡宅を訪問。詠美子は家族葬で流したCD-ROMを聴かせてくれた。「肉声」とは言い得て妙で、淡々とした口調でありながら、本人のいないリビングで吉岡の存在を強く感じさせた。
「……われながら幸福な死を迎えられたと思います。①子どもが自立していること。②借金がないこと。③思い残すことがないこと。④やさしい配偶者に介護してもらえたこと。⑤人間の尊厳が保たれたことなどの理由があるからです。
告別式に当たって、(中略)何を言っているのかわからないお経を唱えられる代わりに、私が生前に好きだった音楽を流させていただきます。私が好きだった曲を聴きながらあんな時代があったなぁ、逸夫はこんな曲を聴いて頑張っていたのかと思い出していただければ、うれしいです」
ハーモニカの前奏から吉田拓郎の『今日までそして明日から』が始まり、井上陽水の『少年時代』や中島みゆきの『ファイト』へ。全28曲は、亡くなる約3カ月前から詠美子がレンタル店に通って編集したもの。
「家族葬の後、霊柩車が火葬場にたどり着く頃にニニ・ロッソの『夜空のトランペット』を流したいって、すっごく細かいところまで本人は考えていたんですが、そこまでは無理でした。そもそも、火葬場で音楽を流すこと自体がダメだったんですけどね」
詠美子が苦笑しながら明かす。
吉岡は享年66歳だから、30代から40代の父親世代に当たる。あなたの親はどんな死生観を持ち、どういう最期を思い描けているだろうか。
あなた自身はどうだろうか。もし明日、体が病気に冒されても、心の健やかさは保ちつづけ、「幸せだ」と連呼して旅立てるだろうか。
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