摂食障害だった女性が語る「過食嘔吐の絶望」 「カビの生えたパンも平気で食べた」
過食嘔吐しているときだけが現実から目を背けられた。そして、奈央さんは生きることのすべての望みを完全に捨て去った。
「私は一生、治らない。それが私の答えでした」
「やせてキレイになれば、人生が変わるかもしれない」
そう願った14歳のときから、実に15年もの歳月が過ぎていた。健康な女性だったら、かけがえのない青春を謳歌できたはずの、すべての時間を、奈央さんは摂食障害の苦しみの中で生きてきた。
その29歳の初夏。彼女の人生が本当の意味で劇的に変わろうとしていた。
『なのはなファミリー』との出会い
「両親が『なのはなファミリー』というところに見学に行く、と言いました。それまでの機嫌をとるような言い方ではないことに少し驚きました。両親はいろいろ調べた末に、“もし治る道があるとしたら、もうここしかない”という覚悟があったのだと思います」
その気配に押されて、ふて腐れながらも従った。東京駅から新幹線に乗り、新大阪から高速バスに乗って、たどりついたのは、森林の中に立つ、丸太で造られた“山小屋”だった。
摂食障害からの回復施設『なのはなファミリー』は当時、岡山県美作市にある、この山小屋を拠点にしていた。
「最初に入居者みんなの歌と演奏を聴かせてもらい、自分と年齢の近い30代の入居者3人とOMTをしました」
OMTとは、オープン・マインド・トレーニングの略で、自分の心と向き合うために、お互いの体験や気持ちを話して共有しあう方法だ。
「でも、私は入居する気がまったくなかったので、すべてが右から左に流れ、みんなの笑顔も直視できませんでした。どこの病院も施設も、一切期待していなかったし、自分も人も信じていませんでした」
ここに来るのは最初で最後。私には帰る場所がある。そんな観光客のような気持ちで山小屋を眺めたと言う。
だが、回復するためのその場所で、奈央さんは死の一歩手前まで、骨と皮だけにやせ細ってしまう──。
(第3回:「摂食障害で骨と皮だけになった少女の闇 父親は『死んでもかまいません』と」へ続く)
〈取材・文/相川由美〉
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