平成最後のダービー「福永祐一」が見せた誇り 19度目の挑戦で初制覇、福永家の悲願達成

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「無我夢中であんなに追ったのは騎手のデビュー戦以来」と笑った。1着でゴールすると大きな声で叫んだが、派手なガッツポーズはなし。ウイニングランで大歓声を受けると泣いた。出迎えた藤本助手も泣いていた。友道師も号泣していた。

「20年以上の付き合いで彼のダービーに対する思いを知っていた。何とかウチの馬でダービージョッキーにしたいとずっと思っていた」と喜んだ。「スタッフの思いに応えることができた。最高だった。ジョッキーをやってて本当によかった」と福永騎手。レース後、仲間の騎手や調教師、関係者の祝福でもみくちゃにされた。

記者会見で「ワグネリアンの父ディープインパクトも、母の父キングカメハメハも、友道先生も、オーナーの金子さんもみんなダービーを勝っていて、勝ってないのは自分だけだった。みんなが勝たせてくれたダービーだった」と笑った。

「コンビを組んできた馬でのダービー制覇は格別。勝っても負けても悔いのない競馬をしようと思った。小柄な馬が外からねじ伏せた。体幹が強くなければあんな競馬はできない」と手の内に入れたワグネリアンの力をたたえた。「平成最後だということは意識していたし、すごく名誉なこと。次の元号でもダービージョッキーになれるように頑張りたい」と意欲を述べた。ダービーを勝ったことでさらに脱皮できるのではないだろうか。今後の福永騎手が楽しみである。

福永洋一の息子として誇れる仕事ができた

最後に筆者は質問した。「コテコテの質問ですが、お父さんにこの喜びをどう伝えますか」と。父福永洋一さんの騎乗も知るオールドファンなら絶対に聞きたかった一言だ。福永騎手は「そうですね、顔を見てから決めます」と一度ははぐらかした。しかし、こう続けた。

「自分はおやじの名前でこの世界に入ってきた。福永洋一の息子として誇れる仕事ができた」と締めくくった。

その一言が聞けただけで十分だった。

父の思いを背負ってダービージョッキーになることを宿命付けられ、重圧を背負って騎手生活を続けた23年。平成最後のダービージョッキーにふさわしい。

おめでとう福永祐一。素晴らしい競馬をありがとう。

(文中敬称略)

高橋 利明 福島民報 記者

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たかはし としあき / Toshiaki Takahashi

1965年生まれ。子どもの頃から地元の福島競馬場に通う。1989年に成蹊大学卒業。入社2年目の1990年に念願の福島民報社競馬担当記者へ。1993年から本紙予想を担当。福島テレビ、ラジオ福島の競馬中継にも出演。永遠のアイドルホースはハイセイコー。競馬の現場記者であり続けることが目標。
 

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