筆者はサラリーマン時代、広告マン、企画屋としてさまざまな広告、販促計画や、商品開発、店舗開発などを経験してきた。
その多くは中小企業で、胸を張って「実績」と言えるものではないが、もし、私の部下がこの企画書を持ってきたら、残念ながら「やり直し」と突き返すだろう。
5大目標は素晴らしい。まさに「野球離れ」を食い止めるための正攻法の方策が並んでいる。行動計画としては、ほぼすべての領域に目配りがされている。
では、何が問題なのか?
それは「目標」が、単なる「行動計画」になっていることだ。本来はその上に据えるべき「理念」「概念」、広告的に言えばコンセプトがなければならない。広告マン時代、私は上司にこう教わった。ネイティブな関西弁で失礼するが、
「ええか、コンセプトというのは”ごちゃごちゃ言うてるけど、お前がやりたいことは一体なんやねん?”と訊いたときに、そいつがすぱっと言うひとことや」
つまり、何のために「そうするのか」という基本の考えだ。「普及」「振興」「けが予防」「育成」「基礎作り」は何のためにするのか? 5つの目標は「ごちゃごちゃ言うてる」に当たる。その上に、すぱっとひとこと「やりたいこと」を明言する必要があるのだ。
「そんなこと、わかり切ってるじゃないか。”野球離れ”を食い止めるためじゃないか」というかもしれないが、それを明記しないと、それぞれの目標に対する手段、方法論が一本化されない。下手をすると、あらぬ方向に進む。
子どもたちに野球を楽しいと感じてもらえるか
「普及」の理念は、平たく言えば「子どもたちに野球を好きになってもらう」ことだと思う。
そのために「子ども向けティーボール教室」を開催するのだと思うが、そうした理念が現場で共有されていなければ、お年寄りの高校野球指導者は、集まってきた幼稚園児、小学校低学年の子どもに「気を付け!」と言って、お辞儀の仕方、挨拶の仕方から教えるかもしれない。そして「全力で走れ」と号令をかけるかもしれない。私が取材している限りで言っても、全国の高校野球指導者の中には、そういう認識の人がまだまだたくさんいるのである。
それでは子どもは「楽しい」とは思わない。「もう一度やりたい」と親に言わない。「普及」がそんなものになっては意味がない。
もちろん、実践レベルではそうした部分も啓もうしていくのかもしれないが、指導者にコンセプトを理解させなければ、活動はうまくいかないのだ。
「理念なき行動計画」は、行動そのものを「自己目的化」しがちだ。
5つの目標のうち特に「普及」「振興」が自己目的化してしまうと「野球離れ」を食い止めるはずの活動が、あらぬ方向に行ってしまうように思う。
実は「勝利至上主義」は、スポーツの理念が忘れ去られた、あるいは等閑視されたために、もともとは「手段」だったものが「自己目的化」したものだということが言える。
本来、スポーツは「基本的人権」すなわち「健康で文化的な生活を送る」を享受する手段として存在する。あらゆる人にはスポーツに取り組み、それを楽しむ権利がある。勝ちにこだわることはスポーツの興趣を盛り上げ、より効果的、効率的にスポーツを習得するための「1つの方策」にすぎない。
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