「高校野球200年構想」のどこか残念な理由 次の100年に向けた理念、コンセプトはどこに

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ゆがんだ「勝利への追求」が日大アメフト部の悪質タックル問題における原因の一つとして考えられます(筆者撮影)

しかし、「スポーツの理念」がどこかへ行ってしまうと、一部指導者や選手は「勝つためには手段を選ばない」ことが正当であるかのように思ってしまうのだ。

もともとスポーツを楽しむための「手段」だった「勝利の追求」が「自己目的化」したのが「勝利至上主義」なのだ。日大アメフト部、内田正人前監督の「勝つためにはラフプレーもいとわない」という姿勢は、まさに「スポーツの理念」が抜け落ちたが故の暴走だったと筆者は考えている。

残念ながら、「200年構想」は、理念がしっかりと踏み固められていないので、実効性は薄いのではないかと危惧している。

この「高校野球200年構想」は、おそらくは「Jリーグ百年構想」を意識したものだろう。

Jリーグ百年構想の中身

「百年構想」は「200年構想」に比べ文字数ははるかに少ない。

・あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。
・サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。
・「観る」「する」「参加する」。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの輪を広げること。

たったこれだけだ。しかしこの短い文章は、すべて「理念」「コンセプト」だ。言い方を変えれば、これはJリーグから日本国民に向けた「約束」ともいえる。その後のJリーグ、サッカー界の政策は、「百年構想」にのっとって行われてきた。

時代によって、フェーズによって方法論は変化するが、理念は変わらない。

Jリーグを3部制にし、日本国内の38都道府県に本拠地を置く54クラブへとエクスパンションしたのも、Jのクラブが企業名を冠することなく都市、地域名に限定したのも、すべて「百年構想」がベースにあった。

特に重要なのは「サッカーに限らず」という言葉だ。Jリーグは「サッカー」ではなく「スポーツ」の普及のために事業を展開している。

この考え方は故広瀬一郎氏の『Jリーグのマネジメント』(東洋経済新報社刊)によれば、すでに構想段階で明確に打ち出されていた。「事業性」ではなく「公共性」を訴えることで、行政や一般市民の賛同を得ることができる。「サッカーのため」ではなく「スポーツのため」ということで、多くの人々が共感する。

筆者はあちこちで「野球離れの危機」について情報発信しているが、少なからぬ人から「別に野球は好きではないから衰退してもかまわない」とか「今まで野球はいい目を見過ぎていたのだから、少し弱ったくらいでちょうどいい」と言うコメントをもらった。

これは野球界が自分たちのことだけしか考えてこなかったことを如実に物語っている。ナショナルパスタイム(国家的暇つぶし)として繁栄する陰で、野球は多くのアンチを生んでいた。彼らは「野球離れ」に対して危機感は抱いていないし、その取り組みに共感してはいないのだ。

「200年構想」は、内向きのものであってはいけないはずだ。日本社会に対して、高校野球はこれから何をするのか、どう変わっていくのか、そしてそれは社会にどう貢献するのかをはっきり約束しなければならない。

2016年夏、『野球崩壊』(イースト・プレス刊)という本の執筆のためにJリーグ初代チェアマンの川淵三郎キャプテンに話を聞いた。まさに「Jリーグ百年構想」の生みの親だ。

川淵氏は私に「Jリーグの事業を策定するに際して、野球を”反面教師”にした」と明言した。

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