そして、「私の夢は地域社会にスポーツの核となる施設を作ることです。日本には道場のようなものは各地にあったけど、ヨーロッパのスポーツクラブのようなものは皆無でした。
スポーツクラブでやるスポーツは、サッカーでなくてもいいんです。僕が言うとサッカーのために芝のグランド作れと言っているようにとられるけど、まるで関係ないんです。百年構想もそうですが、サッカーではなく、スポーツ全体、そして子どものことを考えているんです」と語った。理念、コンセプトとはこういうものなのだ。
サッカー界は事業を拡大しただけではない。
2014年に日本サッカー協会は「グラスルーツ(草の根)宣言」を発表し「ずっとEnjoy 引退なし」「みんなPlay!補欠ゼロ」「だれでもJoin♪障がい者サッカー」という明確な方針を打ち出した。
これも「Jリーグ百年構想」という確固たる理念があればこその展開だ。
もちろん、サッカー界が万々歳なわけではない。サッカーの現場でも暴力事件は起こっているし、勝利至上主義も残存している。しかし、そうした問題への対処には一本筋が通っている。端的に言えば「ぶれていない」のだ。
Jリーグやサッカー界のトップの多くは、ビジネスの世界でも活躍した人が多い。川淵キャプテンも古河電工グループで、ビジネスマンとしても手腕を発揮した。サッカーの構想を建てるうえでも、事業計画の考えにのっとった計画性のある理念を構築している。
200年構想を実行性のある計画に
翻って「野球」である。今回提示された「200年構想」は方法論であって、理念でもコンセプトでもない。それを実行する人が「何のためにそれをするのか」をしっかり共有していなければ、方法論が「自己目的化」し、野球離れを食い止めるのは難しいのではないかと思う。端的に言えば「ブレる」だろう。
野球界は「理念なき行動計画」を「200年構想」だとしたように見受けられた。方向性に問題があるとは思わないが、説得力ある「理念」をともなった実効性のある「計画」に編集しなおすべきではないかと思う。
具体的な中身で言えば、投手の酷使、健康被害の根源である甲子園、地方大会の過密日程や、トーナメントという試合形式、生徒募集の広告塔として「高校野球」を掲げる私学の行き過ぎたやり方など問題は山積みだ。これらも是正すべきとは思うが、何を置いても「なぜそうするのか」をしっかり明示していただきたい。
ひょっとすると、夏の甲子園に向けて「200年構想」の根幹をなす理念、コンセプトがこの後、発表されるのかもしれない。
そうだとすれば、素晴らしいことだとは思う。そのときには筆者の不明をお詫びしたい。理念さえしっかりしていれば、野球界は多少の曲折はあるにしても、今後、明るい展望が開けるはずだ。日本高校野球連盟、朝日新聞社、毎日新聞社に期待したい。
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