「殺人シーンOK、暴力・ハラスメントNG」の矛盾 ドラマをめぐる視聴者感覚に戸惑うテレビ局
まず刑事ドラマをはじめとする殺人事件が起きる作品は、なぜ受け入れられているのか?
その理由は、「勧善懲悪で爽快感が得られる、という安心感がある」「自分とは別世界の話で、あまり臨場感やリアリティがない」から。たとえば、「時代劇やウルトラマンのような勧善懲悪で、自分とは別世界の物語であれば、殺人も受け入れやすい」という感覚と同じなのです。
視聴者にしてみれば、「刑事ドラマなら安心してスカッとできる」「だから殺人事件の残酷さは、あまり気にならない」というのが本音。殺人事件を解決する主人公に変人キャラが多いことからもわかるように、リアリティよりもけれんみを感じやすく、1年を通じて大量放送されているため、見慣れているのです。
一方、その他の作品で、暴力やハラスメントのシーンに批判が集まるのは、「自分に置き換えて考えてしまうリアリティを感じる」から。「つらくて見ていられない」「トラウマになりそう」などの、まるで自分が暴力やハラスメントを受けている被害者のような声は、そんな心境によるものでしょう。
つまりは、「現在の視聴者は、フィクションであることをわかって見ているはずなのに、受け流すことができない」ということ。以前と比べると“ながら見”が増えているなど、あまり集中して見ていない人が増えているにもかかわらず、暴力やハラスメントのシーンが気になってしまうのです。
もともと暴力やハラスメントなどの視聴者がストレスを感じやすいシーンは、終盤の爽快感や感動を際立たせるためのものであり、展開の落差を生む上でも、効果的なもの。序盤・中盤に強いストレスを感じるシーンがあるから、終盤に大きな爽快感や感動が得られるのですが、現在の視聴者は「序盤のストレスを受け止める余裕や耐性がない」「終盤まで待てないほどせっかち」ということになります。
刑事ドラマでもアクションシーンが激減
この心理傾向は、「見たいときに、見たいものを、見たいデバイスで、見る」というオンデマンド思考の強い人ほど高く、少しでもストレスを感じるものがあると、すぐにシャットアウト。「エンタメが多彩になり、アクセスも容易になったことが、こうした状況をもたらしている」とも言えますし、連ドラのスタッフもその心理傾向に対応すべく、ストレスを感じるシーンを減らしているのです。
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