思えば、20世紀型の大量消費時代は、「十人一色」でした。みんなが同じ情報に触れ、同じモノを買い、同じテレビを見て、同じような家庭を築いた時代。その後、自己表現や個性重視、差別化が叫ばれた時代には「十人十色」に変化しました。これが「人はそれぞれ違うよね」といういわゆる多様性のイメージだと思いますが、はたしてひとりの人間とは一色でしかないのでしょうか?
ご自分に照らしてみてください。決してそんなことはないし、いろんな色を内包しているし、時と場合によって違う色を発しているはずです。つまり、本当の多様性とは「一人十色」と考えるべきなんです。多様性の時代とは、違う価値観や考え方を持つ人たちがたくさんいる社会ではなく、それぞれが「自分の中にある多様性」に気づく時代なんだと考えます。
自分と違う価値観の人に触れる
それを実現するのが「人とつながる」ことです。いつも一緒にいる家族や仲のいい友達、または職場の人ではなく、それ以外で新しく誰かとつながり、会って話をすることで、自分自身を活性化させることが前提になります。人とつながればそれだけ自分の中に「新しい自分」が生成されることになるからです。
「人とつながる」というと「友達を作る」と同じ意味ととらえる人がいますがそうではありません。共感し合える友達というより、むしろ違う価値観の人に触れることのほうが有益なのです。人は、どうしても自分と同じ価値観の人、自分に共感してくれる人、自分を認めてくれる人とつながりたがります。それ自体は否定しませんが、そうした居心地のいい関係性(同類縁)だけでは、結果的に自分自身の可能性を狭めていることになります。
あえて違う価値観、違う年齢の違う考え方の人と接する機会を作りましょう。そこで生まれる「違和感」は大事です。これは、米国の社会学者マーク・グラノヴェッターの言う「弱い紐帯の強さ」とも通じますが、いつも一緒の強い絆の間柄より、有益で新規性の高い刺激をもたらしてくれるのは、いつものメンバーとは違う弱いつながりの人たちのほうです。
ところで、よく若者が「自分探し」という名の旅に出たりする話を聞きます。「旅自体はいい経験になるので賛成ですが、自分とは探すものなんでしょうか?
これは、自分自身の中には何か本質的な「核」のようなものが存在し、それこそが「本当の自分」である、という考えに基づいています。自分自身のアイデンティティとは唯一無二であり、「本当の自分」というものは世界にたったひとつだ、という考え方なのですが、それがかえって自分自身を窮屈にしてしまってはいないでしょうか。
私たちは選択肢がひとつしかない状態に追い込まれると、それを正当化しようとします。100年前の明治民法下の結婚も選択の余地はありませんでした。親が決めた相手と結婚したからこそ皆婚が実現できたとも言えます。しかし、それは地域や家族といった安心・安定した共同体があったからこそであり、ある意味安心と引き換えに不自由を受け入れていたわけです。
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