大量生産・大量消費を是とする20世紀の近代社会とは、多数決の論理に基づく「統一性・標準性」社会でした。しかし、そうした「みんなが同じ」である社会から、「みんな違っていい」という多様性社会へと進みつつあると言われています。結婚し、子を産み、家族を持つという「かつて標準だった生き方」を全員がするとは言えない時代になります。未婚や離婚などによる単身生活者の増加も生き方の多様性でしょう。複業・兼業や就労後の学び直しなど働き方も多様化しています。とはいえ、この多様性という言葉は、使う人によってその定義や範囲がマチマチで、多様性について議論をしていても話がかみあっていないことも多いようです。
今回は、拙著『超ソロ社会』および本連載「ソロモンの時代」のメインテーマでもある、ソロ社会を生き抜くために大事な多様性の考え方について書きます。
ひとりの人間の中にも多様性がある
そもそも、多様性とはなんでしょう?
「多種多様な人種が住む国と比べれば、日本は、本当の意味の多様性がない」と言う人がいます。さらに「多様性のない日本人には、思考の多様性もない。それゆえイノベーションが生まれにくいのだ」という理屈まで飛び出すと、「ちょっと待ってください」と言いたくもなります。
日本人には、多様性は存在しないのでしょうか?
そんなことはありえないわけで、これは明らかに外集団同質性バイアス(自分が所属していない外の集団に対して、自分が所属する内集団よりもステレオタイプ化された単純かつ均質な認識をしてしまう現象)であり、「すべての日本人は集団主義である」という偏見と同じです。
人種や言語、宗教、性別に関係なく、「一人ひとり価値観、信念、嗜好、性格などが異なる」ということが多様性であり、それを「互いに尊重し合える環境を築く社会」が多様性社会であろうと考えます。
しかし、実は私が考える重要なポイントはそこではありません。「一人ひとり違う」「いろんな人がいる」という意味の個々人の多様性の視点だけではなく、「ひとりの人間の中にも多様性がある」ということに気づくことこそが大事ではないでしょうか。
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