ジブリ高畑勲監督がアニメ業界に遺した宝物

宮崎駿やガンダム監督にまで影響を与えた

高畑勲監督(右)と宮崎駿監督、1990年11月撮影(写真:共同通信)

2018年4月5日、長年スタジオジブリでアニメーション制作をしてきた高畑勲監督が82歳で世を去った。ジブリの発表によれば、死因は肺がんとのこと。82歳であれば大往生だが、日本のアニメーション界を支えてきた人物だけに関係者の驚きは大きい。訃報は国内のメディアで広く取り上げられただけでなく、英紙ガーディアン、米紙ロサンゼルス・タイムズ、仏紙ル・モンドなど海外大手マスコミも相次いで追悼記事を掲載した。

高畑勲は1935年10月29日、三重県伊勢市生まれ。岡山で育った後に東京大学仏文科に進学した。卒業後にアニメーション制作の東映動画(現・東映アニメーション)に入社したが、アニメーションがエンターテインメントの世界でいまほどメインストリームでない時代には、かなり異例な選択であっただろう。

東映動画では、『狼少年ケン』のテレビシリーズで初演出。劇場映画ではいまも傑作と名高い『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)で監督デビューする。若くしてその才能を羽ばたかせた。東映動画で労働争議が高まるなか1971年に同社を離れたが、その後も『アルプスの少女ハイジ』(1974)、『母をたずねて三千里』(1976)、『赤毛のアン』(1979)、『じゃりン子チエ』(1981)、『セロ弾きのゴーシュ』(1982)と数々の名作を世の中に届け続けた。

スタジオジブリを支えた二本柱

転機となったのは、1985年のスタジオジブリの設立だ。長年の仕事仲間である宮崎駿、さらに当時は徳間書店の社員であった鈴木敏夫らと、自分たちのスタジオを作ることになる。

スタジオジブリでは『火垂るの墓』(1988)、『おもひでぽろぽろ』(1991)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)、『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)、そして2013年の『かぐや姫の物語』の5本の長編アニメーションを残している。宮崎駿監督と共にスタジオジブリの顔であった。 

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