ジブリ高畑勲監督がアニメ業界に遺した宝物 宮崎駿やガンダム監督にまで影響を与えた
しかし正直に言えば、スタジオジブリの監督としては宮崎駿の名前がより広く知られているだろう。宮崎駿監督の作品が、より大衆に好まれたこともある。映画興行だけを見れば、興行収入国内過去最高308億円の『千と千尋の神隠し』を筆頭に、『ハウルの動く城』『もののけ姫』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』まで、スタジオのトップ5はすべて宮崎作品だ。高畑作品は、『平成狸合戦ぽんぽこ』が10位にあるのみだ。
もちろん映画興行の数字が作品の価値や評価を決めるわけではない。実際に高畑監督の評価は、アニメーション関係者、とりわけ海外では宮崎監督と並び称されている。アヌシー国際アニメーション映画祭での『平成狸合戦ぽんぽこ』グランプリ受賞、『かぐや姫の物語』の米国アカデミー賞長編アニメーション賞ノミネートといくつもの評価を重ねてきた。
とりわけ目立つのは名誉賞や功労賞の多さだ。ロカルノ国際映画祭名誉豹賞、アヌシー国際アニメーション映画祭名誉賞、アニー賞ウィンザー・マッケイ賞(生涯功労賞)など個別作品だけでなく、アニメーション業界への貢献が顕彰されている。
『火垂るの墓』や『平成狸合戦ぽんぽこ』などを監督
本来であればスタジオジブリの設立後、「ここでさらなるアニメーションの制作を!」と高畑監督の多くの作品が期待されたはずだ。しかしスタジオジブリの設立とともに、高畑監督はむしろ寡作になっていく。宮崎駿監督の『となりのトトロ』と同時公開となった『火垂るの墓』が1988年、『おもひでぽろぽろ』が1991年、『平成狸合戦ぽんぽこ』は1994年と当初は3年ごとの長編映画であったが、その次の『ホーホケキョ となりの山田くん』は5年後、遺作となった『かぐや姫の物語』ではそこから14年の歳月を待つことになる。
スタジオジブリでの長編アニメーションの数は、同期間で宮崎駿監督の半分程度だ。こうした作品数の違いも、両監督の知名度に影響を与えたかもしれない。
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