アイドルは想像を絶する「サバイバー」だった 虐待、非行、女子少年院の日々を乗り越えて

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小中学校時代をなんとか生き抜いた戦慄さんは、高校に入学し、電車通学するようになってタガが外れた。母親の監視の目をすり抜けて、戦慄さんの生活は急速に荒れていった。

新宿には何らかの理由で道を踏み外した同世代の女の子がたくさんいた。ひとりと知り合うと、芋づる式に交友関係が広がっていった。その仲間たちと悪事に手を染めるようになるのに、時間はかからなかった。

「やっぱり、自由になりたかったのかなあ。非行してる子と一緒にいるのが新鮮だったんですよね。もともと友だちもいなかったので。今考えたら普通の友情じゃないんですけど、すごく自分が必要とされてる感じがしたし、居心地がよかったんですよね」

戦慄さんとその仲間たちが具体的に何をしていたのか、ここには記さないが、インタビューでは一部を明かしてくれた。それは、一言で表せば“ビジネス”だった。

「非行を突き詰めたら、自立できると思ってたんですよ。ウチはおカネがなかったわけじゃない。でも、私と妹は貧困、みたいな状況だったので、おカネに対する執着がすごくあって。そのときは、おカネさえあればあんな思いしなかったのにと思っていたし、お母さんのもとから離れるには、おカネが必要じゃないですか。だから、みんなは遊びたくて、お小遣い稼ぎたいみたいな感覚だったんですけど、私はただ稼ぎたかったんです」

家に帰っても居場所がない戦慄さんは、非行仲間たちと過ごす時間がどんどん増えていった。当然のように、“ビジネス”以外にもさまざまな犯罪行為に走った。何度か警察に補導されたが、歯止めにはならなかった。気づけば、高校に入学してからの半年間で、「エスカレートしすぎて、非行を駆け巡りました」。

「先生」との出会い

ゲームオーバーの瞬間は、唐突に訪れた。事件を起こして警察に逮捕され、余罪も追及されて、女子少年院に送致されたのだ。女子少年院にいたのは、1年8カ月。犯罪行為に対する反省、生活態度などに問題がなければ、1年未満で退院する人もいるそうだが、戦慄さんには、早く出ようという気持ちがなかった。

「そう簡単に変わりたくないという思いがあって。少年院の中では、不良であればあるほど、心変わりが早いっていうか、めちゃくちゃ優等生になるんですよね。上下関係が厳しくて、ゴリゴリのヤンキーみたいな人がいちばん優等生になりやすい。逆に、私みたいにひねくれていたり、変にお嬢様っぽかったりすると、退院が遅れがちなんです」

わかりやすく改心するのを拒否した戦慄さんだが、少年院での出会いが人生を変えた。

戦慄さんがいた女子少年院では、「先生」と呼ばれる法務教官が数人いて、それぞれが3人ほどの少女の指導に当たる。戦慄さんの担当になった先生は、まるで母親のように優しく、厳しく、接してくれたそうだ。

もちろん、すぐになつくほど、非行少女たちは甘くない。戦慄さんも最初は反発し、何度も問題を起こした。それでも、先生は決して戦慄さんを見放さず、粘り強く向き合い続けた。ただ厳しく叱るのではなく、ときには頭を撫で、温かい言葉をかけた。

「少年院に入ってから、第2の非行というか、反抗期みたいな感じて、けっこう問題を起こしていました。でもそれは子ども返りみたいなもので、甘えの欲求だったと思います。先生は本当に第2のお母さんみたいで、親に愛されてこなかったのが、少年院ですべて補われた感じがあるんですよね」

先生の尽力もあり、手負いの獣のように荒れ狂い、「私は変わらない」と息巻いていた戦慄さんの心は次第に静まっていった。

少年院では、退院した後に少しでも役立つようにと、WordやExcelの習得、秘書検定、レース編みなど、さまざまなプログラムが行われている。その中で戦慄さんは、高卒認定試験の受験を選んだ。改心して前向きになった、というわけではなく、現実逃避だった。

「少年院だと多いときには1日に3回くらい、作文を書かないといけないんですよ。自分の犯罪や過去のつらかったことを思い出して、そのときに自分はどう思ってたのかを細かく振り返って、過去と向き合うんです。私にとってはそれがいちばんきつい時間で、それから逃げるには、本を読むか勉強するしかなかった」

少年院には勉強を妨げるスマホも、テレビも、友だちからの誘いもない。先生の影響で、法務教官という仕事に興味を持った戦慄さんは勉強に励み、高卒認定試験に合格した。

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