アイドルは想像を絶する「サバイバー」だった 虐待、非行、女子少年院の日々を乗り越えて
【お母さんに「あんた発達障害なんじゃないの」って言われたまじウケる!もしそうだとしてもお前が私のこと殴りすぎて脳細胞潰れまくったとか彼氏と出掛けたきり一週間帰ってこなくて成長期なのに飢死しそうになったから脳みそに栄養行かなかったとかそんなんが原因じゃないですかね】(戦慄さんのツイートから引用/@CV_Kanano)
戦慄さんの生活は、母親、妹と3人で暮らし始めた小学生のときに、激変した。ひとりで娘ふたりを育て始めた母親は、やがて育児よりも自分を優先するようになった。
戦慄さんの記憶に刷り込まれている出来事がある。待てど暮らせど、母親が帰ってこない。1日、2日、3日、4日……。でも、幼い妹を連れて家を出るのは怖いし、おカネもない。誰かに助けを求めようという考えも浮かばなかった。ただただ、空腹を紛らわせるために、水道から水を飲んでいた。母親が帰宅したのは、1週間が経ってからだった。
母親は働いていたので、貧困状態だったわけでもない。ただ、育児に関心を持てず、子どもを持て余していたのだろう。戦慄さん本人も認めているが、完全なる「ネグレクト(育児放棄)」状態で、戦慄さん姉妹はお風呂に入って体を洗う、歯磨きをする、服を着替えるといった、「当たり前」に思えるような生活の行為を教わることなく、放置された。
気づかれなかったSOS
母親が家にいるときには食事を作ってくれたが、たいてい鍋料理で、具材がなくなるとその鍋に足していくので、1カ月、同じ鍋料理を食べ続けることも珍しくなった。
それでも、好きなものを作ってほしいと意見を口にすることもままならない。気に入らないことがあると暴力を振るわれるからだ。しかも、母親は、家の外での子どもたちの行動には厳しかった。門限とたくさんの規則を作り、がんじがらめにした。
「小学校5、6年生のころ、これって虐待なんじゃないかと思うようになって、何回か先生に相談したんですけど、伝わらないんですよ。お尻を叩かれることが多くて、ミミズ腫れがあっても、それを先生に見せるのは恥ずかしいし。学校では定期的に、『虐待や悩みごとがあったら相談していいよ』みたいなホットラインの紙が配られるから、自分のお財布にストックしてたんですけど、1回も電話しなかった。私もそうですけど、虐待されてる子は、携帯を持ってない子も多いんですよ。公衆電話からわざわざ電話するのはハードルが高いし、お母さんのことも好きなので、それでお母さんがどうなってしまうのかみたいなのも想像すると怖いんですよ。子どもがSOSを出すのは難しくて、誰も助けてくれなかったですね」
小学校4年生頃まで、お風呂に入らず、歯を磨かず、ボサボサの髪をして毎日同じ服を着ていた戦慄さんは、学校でいじめられた。同級生の男女から毎日のように激しい嫌がらせを受けた。一度、いじめられると、そこから抜け出すのは簡単ではない。いじめは中学の3年間も続いた。家でも、学校でも、気が休まるときはなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら