マサキさんには不満がある。体調がよく、勤務時間を増やして収入がアップした月や、ボーナスをもらった月に、連動して生活保護費が減額される点だ。「頑張って働けば働くほど保護費が減らされる。これでは貯金もできず、いつまでも生活保護から抜け出せない」と訴える。私が、生活保護制度の目的は「最低限度の生活」の維持だから、利用者の貯金まで賄うのは難しいと説明しても、いま一つ納得できない様子である。
これまでの取材で出会った人たちの中にも、同様の不満を口にする人はいた。生活保護の利用は恥だという「スティグマ」に苦しみ、自活を望む人ほどその傾向が強いように思う。それは、自活に向けた「助走期間」へのフォローがほとんどなされない現行制度の課題でもあるのではないか。
いま、小学生になる子どもたちはどうしているのか。
子どもたちとは離婚した直後に数回、会ったきりだという。そして数年前、人づてに彼らが児童養護施設にいると聞いた。マサキさんは言葉少なに、元妻が自分に黙って預けたようだと話す。彼女に対しては罪悪感もあるが、釈然としない思いもあるという。
「私がうつ病になったとき、彼女がもう少し頑張って仕事を探して家計を支えてくれたってよかったんじゃないか。離婚はショックだったけど、やむをえないと思って応じました。子どもは育てると言うから親権も渡したのに……」
「私には“前科”がある」
私が子どもたちと一緒に暮らしたいですかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「自信がありません。私には“前科”がありますから。子どもはあの夜のことを忘れていないかもしれない。恨まれているかもしれない。そう思うと、どんな顔をして会えばいいのかわからないんです」
私は何度か児童養護施設を取材したことがある。その経験から、施設は必要な社会資源だが、親戚や里親など受け入れてくれる「家族」がいるなら、それに越したことはないと思っている。とはいえ、わが子を殺しかけた記憶がぬぐえない父親の痛みを、容易に理解することは私にはできない。
元妻からマサキさんに直接の連絡はない。彼は今も月2万円の養育費を払い続けている。
現在の勤め先には恵まれているという。障害者福祉に理解のある企業で、うつを抱えながら働いている先輩もいる。現在は週3回、1日数時間の勤務で、月収は約4万円。
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