生まれも育ちも名古屋。地元の専門学校を卒業後、外壁塗装を手掛ける会社に入った。仕事は飛び込み営業で、月収は約18万円。上司からノルマについて小言を言われることはあったが、暴言や暴力があったわけではなかった。しかし、契約が取れない期間が続けば、会社には居づらくなる。マサキさんは入社1年で退職。約20人いた同期は半年後には数人になっていたというから、自分はまだもったほうなのではないかと思っている。
この頃、付き合っていた女性といわゆる“できちゃった婚”をした。その後、旋盤加工の技術を身に付け、派遣社員として働いたが、リーマンショックによる派遣切りに遭遇。不況下での就職活動は難航したうえ、家族を養うためには仕事を選んでいる余裕もなく、正社員という条件にひかれ、うつ病を発症するきっかけとなる会社に就職した。
「過労死ライン」を大幅に上回る残業
マサキさんの話を基に、この会社の1カ月の残業時間を算出すると170時間近くに上り、厚生労働省が定める月80時間の「過労死ライン」を大幅に上回る。月収を時給換算すると、愛知県の最低賃金を下回る水準。とんでもない「ブラック企業」だが、一方で職場にはタイムカードがあり、実際の出退勤時刻を打刻していた。今思えば、労働基準監督署や、個人加入できるユニオンに相談することもできたが、日々の暮らしに忙殺され、そんなことは思いつきもしなかったという。
うつ病を発症し、仕事も家族も失ってから7年。マサキさんは今も、この病気とうまく付き合うことは難しいという。
「症状も周期もばらばら。脱力感や不眠以外にも、過呼吸になったり、わずかな物音にイラついたり。1日で回復することもあれば、半年ほど無気力な状態が続くこともあります。徐々に落ちていくこともあれば、突然ガクッといくこともある。少しでも兆しがあれば、すぐに頓服するのですが、それでよくなることもあれば、効かないこともある」
両親は息子のうつ病を受け入れかねているようだという。
あるとき、母親は有名芸能人の体験談を持ち出し、「〇〇は『睡眠導入剤をやめようと思ったら、4日間眠れなかったけど、結局それでやめることができた』ってテレビで話してたよ」と言ってきた。また、マサキさんが病状や処方薬について説明しようとすると、不自然に聞き流されることがあるという。面と向かって「頑張れ」とは言われないが、うつ病は服薬ではなく努力で治るはずという偏見や、息子の病気を認めなくないという葛藤が伝わってくるという。
彼自身、かつてはうつ病や適応障害、パニック障害などメンタルの不調に対する理解があったとは言えなかった。「友達と話していて『最近、何にでも病名を付けたがるけど、気持ちが弱いんじゃないの』と言ったことがあります。そのときはまさか自分がうつになるとは思っていなくて……。このつらさは経験してみるまでわかりませんでした」。
現在は独り暮らし。働きながら、基準に足りない分を生活保護費で補っている。マサキさんは生活保護を利用することにも複雑な思いがあるという。「だって(世間からは)税金泥棒、働かずに楽してると思われてますよね」。
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