坂本前社長が語る「エルピーダ倒産」の全貌 経営破綻からマイクロン傘下に入るまでの舞台裏

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銀行が待てなかった

坂本氏がエルピーダ社長に就任したのは02年。同年に坂本氏に誘われてエルピーダに入社した大塚周一氏(現ジャパンディスプレイ社長)は、「坂本さんは、誰でもやらせればできるという信念を持っていた」と振り返る。強烈なキャラクターや根性のありそうな部下を抜擢する一方で、肩書や学歴偏重の人事を嫌った。
04年に株式上場を果たすと、台湾メーカーとの協業にも乗り出した。しかし坂本氏自らがトップ同士で交渉するため、具体的な内容は部下や経産省も知りようがない。複数の関係者によると、この頃から坂本氏に異を唱える人はいなくなり、トップダウン経営のほころびが見え始めたようだ。関係者の1人は「マイクロンでも東芝でも、もっと早く経営統合を決断していれば対等合併できた。坂本さんはエルピーダの看板を守ることに固執した」と悔しがる。

──エルピーダを成長に導いた一方で、最後は経営破綻へ追い込んだ。自分でどう総括しているか。

破綻させたと言うけれども、あと1年待ったらすごい利益を出す会社になっていた。銀行が待てたか待てなかったかの問題だ。

僕らが想定した携帯電話市場の成長が1年遅れていた。エルピーダの財務データを見ればわかるが、単体の13年4~6月期は売上高1300億円で純利益390億円、そこに台湾子会社を加えると利益はもっと増える。どう考えたって今年はそうとういい業績なわけで、1年待ったらマイクロン傘下にならなかった。

仮に東芝と交渉するにしても、対等合併になる。東芝がフラッシュメモリを切り出して、エルピーダのDRAMと一緒になれた。東芝も新しい経営陣になっているから、そういう可能性があったかもしれない。だから1年なんです。

──国が経営に関与することをどう考えるか。

半導体産業はかつて日本メーカーが50%以上の市場シェアを誇っていたが、今は20%以下。一企業でどうするかという枠を超えており、国のレベルで日本の半導体産業をどうするか、考える必要がある。

日本が持つ唯一の資産は人間だと思うから簡単にリストラしないほうがいい。カットされない人の士気も落ちる。ただでさえ日本はエンジニアの数が減っているのだから。

──エルピーダの社長就任直後は、人員削減を行っていたのでは。

親会社に戻ってもらった。副社長とかは必要なかったけれど、エンジニアやオペレーターには残ってもらった。実際に仕事をしている人を切ろうなんて、夢にも考えない。

僕は会社勤めしてから44年になるが、一度もリストラしていない。マイクロンのアップルトンCEOにもリストラするなと言っていた。エルピーダの優秀な人材はマイクロン本社で使って工場もいじるなと、ちゃんと契約書に入っている。僕はあまりいい経営はしてこなかったかもしれないが、子会社の秋田エルピーダメモリや広島工場の従業員は見てくれていると思う。

(記事冒頭写真は2012年2月、会社更生法申請会見。記事中写真は2013年7月、マイクロンテクノロジーとの会見。撮影:今井康一、梅谷秀司 =週刊東洋経済2013年10月19日号

前田 佳子 東洋経済 記者

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まえだ よしこ / Yoshiko Maeda

会社四季報センター記者

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