坂本前社長が語る「エルピーダ倒産」の全貌 経営破綻からマイクロン傘下に入るまでの舞台裏

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

競争入札の裏側

2月27日にエルピーダは会社更生法を申請し、坂本氏は管財人となった。支援企業選定の入札を実施すると、名乗りを上げたのは東芝とDRAMメーカーの韓国ハイニクス、投資ファンドの中国ホニー・キャピタル、本命のマイクロンだった。

──エルピーダのブランドを残すなら、マイクロン以外の選択肢もあったのでは。

ホニー・キャピタルは、工場運営経験がないので2次入札の途中で降りた。ハイニクスは親会社のSKテレコムが非常に魅力的な提案をしてきた。エルピーダの負債をクリアにしたうえで1~2年以内に再上場して、今の経営陣が残るプランだった。しかし子会社のハイニクスには熱意がなくて、モバイルDRAMの技術的な難しさや、顧客との付き合い方といったことばかりを聞いてきたから、情報が欲しかったのかもしれない。最終日の12時半がデッドラインで午前中にハイニクスが12時までに金額について返事すると言ってきたが、12時半に電話が来て「今回は降りた」となりました。

結局はマイクロンがいちばんいい条件だった。別の会社も2000億円を準備すると言ってきたが、設備投資に800億円を追加投資する条件はマイクロンだけだった。

──経産省の関与はあった?

ほとんどなかった。東芝との提携について積極的に動いたことは事実でミーティングをセットしてきたが、経産省側が意見を言うことはなく干渉もしてこなかった。

──11年に経産省官僚がエルピーダ株のインサイダー取引を行った不祥事が影響していたのでは。

そうではない。当時、東芝社長だった佐々木(則夫)さんは半導体が嫌いとされていたから、経産省は推してもムダだと思ったのでは。東芝と組むことは、日本の半導体の再生ではいいフラッグシップになるとわれわれも考えてはいたが、2次入札に参加してこなかった。

──産業革新機構の主導で、半導体ファウンドリー大手の米グローバル・ファウンドリーズ(GF)が広島工場を買収する案も更生法申請前から浮上していた。

GFへ広島工場の50%を売っても経営の実権はエルピーダが持つという好条件だったが、提示した金額が低すぎた。僕は広島工場をGFのマザーファブにしてグローバルに展開すればいいと思っていたが、彼らは世界中に工場を持っておりビジョンが明確でなかった。さらに僕に経営陣に入らないかと誘ってきたが、やるつもりはないと断った。

次ページ銀行が待てなかった
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事