坂本前社長が語る「エルピーダ倒産」の全貌 経営破綻からマイクロン傘下に入るまでの舞台裏
幻に終わった台湾連合
──台湾連合は実現しなかった。
台湾TMC社の代表に「台湾のDRAM会社はみんな潰れそうだ。ぜんぶ自分が買収する」と言われた。それを聞いた台湾ナンヤテクノロジーが怒り狂った。トップ同士が話し合う危険は、何げない一言が相手方にすごいダメージを与える場合があることだ。
──提携交渉が頓挫したから、事業計画を作れずに苦しんでいた?
それはない。11年9月くらいから、米マイクロン・テクノロジーと経営統合の交渉を開始していた。
でも12月中旬になって、提携先を見つけて資本金2000億円をプラスしてくれと、政投銀がハードルを上げてきた。2000億円を調達できるなら、借り換えは必要なくなる。うちの財務担当は冗談だろうと僕に知らせてこなかったが、年が明けた1月中旬に「こういうのがありますが冗談ですよね」と言ってきて。政投銀へ確認に行くと「やってもらわないと困ります」と言われた。
──マイクロンとの経営統合も暗礁に乗り上げた。
マイクロンとは12年2月3日に経営統合の話がついていた。04年からマイクロンのアップルトンCEOは経営統合しようと言ってきて、08年にも持ちかけてきた。ずっと断り続けてきたが、互いに経営状況が厳しくなったので経営統合を決めてスキームをまとめ上げた。
八年来の夢が具現化できることをアップルトンCEOは喜び、米国に帰国して金曜日に休んで飛行機に乗ったんだね。彼は飛行機が大好きで、一時は14機も持っていた。その日はプロペラ機で100メートルくらい上昇したら、ひっくり返って墜落して即死。経営統合できなくなった。
2月末までに2000億円を調達することが条件だったから、当時の僕は毎週のように海外へ飛んで提携相手を探したけれど、デット(借金)なら集まるけどエクイティは厳しい。2月後半になると経産省からも増資のことを言われ、政投銀と話がついているんだなと思った。
最後の最後までトライして27日10時までに、ある企業が広島工場を半分買うと言ってくれることになっていた。でも10時になっても電話はなくて、僕が10時半に電話すると金額で折り合わなかった。仕方なくその日の午後、更生法を申請した。
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