地上波バラエティ、実は今が「第2の創生期」だ 「てれびのスキマ」的バラエティ論

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ここで改めて、1980年代以降のバラエティ番組の流れを簡単に整理してみたい。

〈1980―1990年代〉テレビっ子たちの幸福な時代

80年代は前述のように「楽しくなければテレビじゃない」という「軽チャー路線」のフジテレビ的なノリが、テレビ界全体に波及していった。それは、世間の気分ともマッチしていた。フジは年間視聴率三冠王に君臨。テレビとはすなわち「フジテレビ的なもの」となっていった。

80年代後半には、とんねるずが登場。「業界」そのものをパロディにし、視聴者を“内輪”に巻き込んでいった。また、「アンチ・フジテレビ」を標榜し、フジテレビ内に深夜枠「JOCX―TV2」が“開局”。「フジテレビらしくない」番組を作ることを目標に、さまざまなサブカルチャーを扱い、またダウンタウンやウッチャンナンチャンら新世代の旗手たちが参入。結果、90年代に花開くことになり、「フジテレビ的」カルチャーを生み出すこととなった。「めちゃイケ」の前身となる「新しい波」や「とぶくすり」もこの枠で放送されたものだ。

一方、ライバルである日本テレビは「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」や「世界まる見え!テレビ特捜部」などを立ち上げ、知的エンターテインメント路線で対抗。また、「進め!電波少年」など日テレ式のドキュメントバラエティを確立していった。

「失われた10年」などと言われる90年代だが、ことテレビにおいては最も幸福な時代だったといえるかもしれない。細分化した価値観に合わせるように、テレビ番組も多様化し、ピンポイントのターゲットに送る番組が多く、視聴者は前のめりでテレビを楽しんだ。そして、積極的に内輪に入り込んでいった。事実、タイアップ商品はかつてないほど売れた。いわば、“テレビっ子の時代”と言えるかもしれない。

80年代まではテレビは大衆の上にあった。だが90年代、テレビと視聴者は並走するものになり、自分の価値観と合うものを自ら取捨選択できるようになったのだ。

テレビの地位が下がった

〈2000年代〉テレビと視聴者の関係が変化した

だが、テレビによって多様なカルチャーの魅力を知った90年代のテレビっ子たちは、皮肉にもテレビから離れることになる。インターネットの発達などにより、テレビ以外の方法でさまざまなカルチャーへアクセスすることが容易になり、それらの娯楽へ分散してしまったのだ。するとテレビも狭いターゲット層を狙うのでは頭打ちになり、立ち行かなくなる。

2000年代、テレビは大衆に回帰した。しかし、時代が後戻りできるわけではない。ならばどうするか。相対的にテレビの地位を下げたのだ。「クイズ!ヘキサゴンⅡ」(フジテレビ)における「おバカブーム」などが象徴的だろう。テレビは大衆がバカにしながら見るものになった。これにより視聴者を番組の内輪に入れるのが難しくなった。内輪に入らず遠巻きに見る視聴者とは共犯関係が築けない。するとそれまでは、許容されていた過激な表現や悪ふざけ演出も批判の対象となってしまうのだ。

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