日本人が知らないシリア難民の超過酷な現実 子どもたちのために危険を承知で海を渡る
牧野:「子どもたちに未来を与えるため〜ギリシャで出会った『難民』と呼ばれる人々〜」という題でお話しさせていただきます。僕は、2015/16年にドイツのベルリンに留学していて、そこで「難民危機」を体験しました。当時ベルリンは人口比1%で難民を受け入れており、そこら中に難民受け入れの施設があり、僕もそこでボランティアをしていました。その状況を見て、「実際にどこから来るんだろう」という疑問を感じ、船で難民の方が到着するというギリシャの島「レスボス島」にまず行くことにしました。レスボス島の対岸は、もうトルコ。シリアからまずトルコに逃れ、そこからレスボス島に来るという方が圧倒的に多かったです。僕もトルコからフェリーでレスボス島の方に入りました。レスボス島は海がとても綺麗な観光地ですが、もう一つの現実として、「難民が来る島」と言われるようになった場所でもあります。
堀:ギリシャまでたどり着けばEUですから、その他のヨーロッパ諸国にも通じますよね。
牧野:はい。だいたいシリアやイラクから逃れて来た方がレスボス島に行きます。そのレスボス島からフェリーでアテネに行き、バルカン半島を通ってドイツやスウェーデンを目指しているのです。「ギリシャに入ってしまえばこれで大丈夫だ」という考えだったのかなと思います。実際に、トルコからレスボス島を中心としたギリシャの島々に渡った難民が、2015年だけで約85万人に達したと言われています。レスボス島とトルコは直線距離で約10キロしか離れておらず、モーターが付いた船であれば2時間もかかりません。しかし、モーターが壊れた場合は4〜5時間で流れ着いたと話している人もいました。ゴムボートは20人用くらいなのですが、50人程がぎゅうぎゅう詰めに乗っていました。海を渡った難民が着たライフジャケットが全て捨てられている「ライフジャケットの墓場」と呼ばれた場所もありました。
僕が行っていたのは、海を監視して来る方々を迎え、服を与えるなどのボランティアです。ボランティアの人はだいたい海岸線で、7〜8時間ずつのシフト制に分かれてやっていました。一晩中のこともありました。到着した方々はまずレスボス島の一時受け入れ施設に入るのですが、どんどん次に新しい人たちが来るため追い出され、1週間もいられません。2015年の夏から11月にかけては、1日に100隻来た日もあったと聞きました。
先に進みたくてももう先へは進めない
僕が実際に現地にいたのは2016年の3月で、「もうあまり船は来ない」と言われていました。バルカン諸国がこれ以上難民を通せないということで、国境を封鎖し始めた時期が、ちょうどこの3月だったのです。国境が封鎖され、難民の人たちが先に進みたくてももう先へは進めない。難民の皆さんは、隣国のマケドニアとの国境付近にある人口400人ほどの「イドメニ」という小さな村に留まらざるを得ない状況にありました。僕もこのイドメニへ向かいました。2016年2月の終わりまではシリアやイラクからの難民に対しては国境を開いていたのですが、3月中旬を境に完全にシャットダウン。門や戦車が国境のところに威圧的に置かれるようになりました。