日本人が知らないシリア難民の超過酷な現実 子どもたちのために危険を承知で海を渡る

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:どういうことで、キャンプに入る人と入らない人に分かれるのですか?

松永:ザアタリ難民キャンプは2012年7月にオープンして、6年が経過しています。2013/14年には倍近くの人がいました。最大約14万人までいたのですが、多くの方がキャンプ外に出て行ったんですよね。シリアから逃れてきて自動的にキャンプに連れて来られたけれど、「やっぱりこの暮らしは嫌だ」と出て行った人もいます。一方で、その後もずっと住み続け、比較的インフラが整ってきた今「あえてここを出る必要はないのかな」という状況になっている人も。

インフラが整備されてきた

:ザアタリ難民キャンプはどのくらいの大きさですか?

松永:キャンプの地図をご覧ください。赤いラインが大きな道で、黄色いラインが小さな道。外周が約20キロです。私たちが事業をしているのは、門から遠く離れた端っこ(写真右下)です。門があるところ(写真左上)は人も物も集まってくる場所。門から遠い私たちのエリアは、もともと人気がありませんでした。

タカハシ:物を取りに行くとなっても20キロは大変ですね。その間に仲介する人が出るなど、キャンプ内で経済が生まれそうですね。

松永:はい。無料のバスや、乗り合いタクシーもあって、私もよく使います。タクシーは大体160円ほどで、キャンプの中だったらどこでも連れて行ってくれます。

タカハシ:誰が運営しているんですか?

松永:これはヨルダン政府です。ヨルダンに暮らす地元の人たちをドライバーとして雇っています。「難民キャンプに住むシリア人にばかり仕事があるのはおもしろくないぞ」という地元の人たちに仕事を与えているのです。シリア人は、ライセンスの問題で、基本的に車の運転ができない人が多いということもあります。

タカハシ:キャンプが12画で分かれていますが、地域性はありますか? 関西人なら関西人だけで集まる、というような。

松永:あります。門の周辺にはシリア南部のダラから来た人たちが比較的集中し、キャンプの一大勢力を築いています。その他の点々としたところから来ている人たちは、今私たちが事業をしている8番の区画周辺(写真右下)に住んでいます。結局中心地には住めなかった、もしくは住みづらさを感じた「その他」と呼ばれている方々です。「親族やご近所さんも同じ場所にいたら安心だよね」というのはきっとあると思います。

2013年のザアタリ難民キャンプ©︎国境なき子どもたち(KnK)

:先ほど、インフラが整備されてきたということでした。ザアタリ難民キャンプは、最初は衛生環境が劣悪だったんですよね。改善はありましたか?

松永:そうですね。共同トイレに共同水場。トイレもお風呂も自分のところにはないという状況でした。かなりのストレスですよね。しかし今、下水道の工事がどんどん進められています。他にも、もともと3校しかなかった学校が13校までになりました。ヨルダン政府が運営しており、ヨルダン人の先生とシリア人の先生が基本的に50%ずつの割合です。また、医療機関も保健センターやクリニックもできました。相変わらず昼間は電気がないのですが、皆さん少しずつお金も貯めて、自分の家にジェネレーターを買って発電している方も出てきました。また最近、電力が自力で賄えるようにと、ドイツのJICAがキャンプ外に太陽光パネルの整備を進めています。いよいよ自活に向けて整備が進められている段階です。テントがずらりと並び砂埃がひどかった2013年のキャンプの状況と比べると、最近はプレハブが立ち並び、自分の家の前にコンクリを轢いて綺麗にしたり、お庭を作ってみたりと、生活感がある建物が多くなっています。ちなみに、キャンプ内では自転車での移動が多いのですが、その自転車は日本からの放置自転車が大量に寄付されたものです。

2018年現在のザアタリ難民キャンプ©︎国境なき子どもたち(KnK)
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