日本人が知らないシリア難民の超過酷な現実 子どもたちのために危険を承知で海を渡る

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:難民のために国境を強化したのですね。

牧野:そうですね。ある女の子が描いた絵を見せてくれました。左にはヨーロッパ、右にはトルコと書いています。両国がお互いに「お前たちはいらない。難民はどっかに行け」と言っている中で、ギリシャのイドメニキャンプに留め置かれているという状況を表している絵です。

©︎André Makino

「国境が開かないなら電車を止めよう」

イドメニに入った当初は、いわゆる難民キャンプと分かるような大きなテントではなく、キャンプ用の小さなテントで暮らしていました。イドメニはマケドニアに通じる商業用線路が通っている場所でもあり、難民の人たちは「国境が開かないなら電車を止めよう」と、線路の傍にテントを張りました。子どもたちも加わって、毎日このように線路脇に座りました。それが彼らの唯一の抗議活動でした。

©︎André Makino

実際ギリシャ政府はかなり困ったようで、イドメニキャンプはギリシャ政府にとっては目障りでした。北部で一番危ないのは雨。水はけが悪く、一度雨が降ると洪水状態になり、その際にはテントは使い物になりませんでした。水はけが悪いせいで靴もすぐボロボロになり、ノルウェーのNGO「A Drop in the Ocean」で靴を配るボランティアを行ったこともありました。

:こんなこと起きて欲しくありませんが、仮に僕らが避難しなければならないということで、対岸の韓国に渡ったけれど、韓国側ではもう受け入れが困難で釜山港に留め置かれているという状況ですよね。

牧野:まさにそうですね。「移民は罪ではない」「ドイツは私たちを助けて!私たちを忘れないで!」というプラカードを持っている子どもたちで溢れていました。

©︎André Makino

:メルケル首相は、一度は移民の受け入れを積極的に行うと言ったものの、その後ドイツ国内で衝突や事件などが発生し、最終的にはメルケル首相の人気が失墜するというところまで政権基盤も危うくなる程、ヨーロッパ側が難民の受け入れに対して非常にシビアな状況に。受け入れがかなり厳しくなってきているんですよね。

©︎André Makino

牧野:国境が閉鎖され、ほとんど入ってこない状態になりました。難民で仲良くなった人が送ってくれた写真なのですが、2016年3月に国境が閉められた後、4月中旬に難民の皆さんの我慢の限界が達した日があったんです。難民キャンプではよく「3日後に国境が開く」などの噂が流れるのですが、そうなると噂だけが一人歩きして止めようがなくなってしまう。イドメニキャンプでは当時1万人弱の難民が住んでいたのですが、噂を聞き周辺のキャンプから移動してきた方もいて、この日だけで1万4000人超に達しました。その中にはマケドニアに入ろうと強行突入を試みた若者もおり、マケドニアがギリシャ側に催涙ガスを打ち込むということがありました。この時、入ってきたガスで怪我をした子もいました。

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