デフ五輪陸上金メダルの三枝浩基が目指す夢

険しい道のりを越えてつかんだ世界一の先

高校を卒業すると、地元・兵庫の印刷会社の工場で機械作業員として働き始めた。 つねに立ち仕事という環境の中、就業時間は平日の朝9時から18時まであり、仕事が終わると休む間もなく着替えて19時から21時まで練習をみっちり行っていた。「立ち仕事は体力を使いますし、週4、5回の厳しい練習にも付いていかなければならず、メンタル面も含めて本当につらかったですね」と三枝は当時を振り返る。

初出場の世界大会で味わったどん底

2009年、三枝が19歳の時、ビッグニュースが飛び込んできた。ハンマー投げ選手の友人である森本真敏が世界最高峰となるデフリンピック(台北)で金メダルを獲得したのだ。

Googleドキュメントを使いリアルタイムでチャットのようなやり取りをした。右奥が筆者(編集部撮影)

世界一となった友人から優勝報告を受けると、「自分も世界で戦いたい」という夢を抱くようになり、トレーニングに熱が入った。

そして2012年、日本代表選手として「世界ろう者陸上競技選手権大会」の出場権を獲得することができたのだ。「初めて出るのにたくさん練習をしなければ」と強く感じた三枝は、トレーニングによりいっそう精を出した。

だが、三枝は練習に力を入れすぎてしまい、大会直前に、アスリートにとって致命的とも言われる左太もも裏の肉離れを引き起こしてしまったのだ。いろいろなものを犠牲にしてやっとの思いでつかみ取った世界大会出場の切符であったが、屈辱的な結果だった。ケガはぎりぎり完治したものの、病み上がりのためベストを尽くすことができなかったのだ。

「俺はいったい、何をやってきたんだ?」

それから三枝は、足と心に深く刺さった痛みから抜け出すことができず、悩みに悩んでしまった。走ることが楽しくて始めた陸上で、「どうしてここまでつらい思いをしなければならないのか?」と。

世界ろう者選手権で惨敗した三枝は、リベンジするために会社を退職した。自身の退路を断ったうえでの決断だった。翌年に開催されるデフリンピックに向けて、1年間は仕事をせずに競技専念する選択をしたのだ。

2013年、ブルガリア・ソフィアで開催されたデフリンピックに出場すると努力が実り、100mでは日本人として実に32年ぶりとなる決勝の舞台に進出し、8位入賞を果たした。そして4×100mリレーでは6位にも入った。

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