イデオロギーにポジションを取る
佐々木:ポジションを取ろうとする場合、媒体としてポジションを取るのか、媒体にいろんなポジションを取った人たちが集うプラットフォームにするのか、どちらの意味合いですか。
塩野:生き残り戦略は、媒体一紙としてイデオロギーにポジションを取るほうです。
佐々木:では産経新聞みたいに。
塩野:そうです。産経が好きな人、結構いますからね。
佐々木:コアファンをつかんでいますよね。
塩野:面白いことをいう東京新聞とか。やっぱり一紙としてイデオロギーに対する何らかのポジショニングを取っていると、読者がつきますよ。
佐々木:今、“右マーケット”が強いですものね。
塩野:“右マーケット”って呼ぶんですか(笑)。
佐々木:(笑)保守マーケットと言い換えましょうか。
では、これからのジャーナリストは、媒体としてのイデオロギーに合うところに勤めて、そこで自分の意見を出していくのがいいということですか。
塩野:そこもいろいろあります。部数を出し続けるために、新聞サイドも調整するんですよ。こういう社説を出してみたら読者からこういう反応があったから、ちょっと微調整して……と、やっぱり新聞も媒体として防衛本能としてやりますから。しかしながら、読者をどのあたりに想定しているのかは伝えたほうがいい。
全部を対象にするのはやっぱり無理ですよね。自分のポジショニングを伝えなければいけない度合いは高まっています。
スター記者をつくる
佐々木:各記者に許されるオピニオンの範囲や自由度は、その媒体とイデオロギーが合うかどうか、媒体ごとにその範囲や自由度が違ってくるということですよね。
塩野:その議論はどちらかというと、スター記者をつくるかどいうかの議論です。
佐々木:スター記者は出てくるのでしょうか。もしくは必要なのでしょうか。
塩野:たとえば「東洋経済オンライン」のように、ありとあらゆるポジションがあって、みんなが署名記事を書くという世界、つまりプラットフォームを構築するのだったら、書き手はスター記者たちなんじゃないですか。スターたちによる言論空間の形成は昔からありますし。
「ひとつのイデオロギーのパッケージ」という打ち出しなのか、「右も左も保守も革新もいます。どちらかに寄ることはなく、みんなキャラが立っています」という打ち出しなのか。媒体としての戦略と設計の問題ですよね。
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