先日、ある学生から、「孤独を否定することは、依存を奨励しているのではないか」という質問を受けた。つまり、孤独は依存の対義語として認識されているということのようだ。「1人で強く、人に頼らず生きていく」ことが「孤独」であるという解釈なのだろう。
作家の中村うさぎさんが、自らの闘病の経験から、次のようなことを書いている。
孤独信仰の先にあるのは「一億総引きこもり」
依存と孤独は対義語ではない。「過度の依存」こそが「孤独」と実は同義語なのだ。人は本能的に「つながり欲求」を持っており、人とのつながりが作りにくい孤独な人が、酒や薬物などの依存に陥りやすいと言われている。つまり、人の代わりに、酒や薬物などとつながることを選んでしまうということだ。義理の父は、精神的な孤独感から、「酒」とつながっていったのかもしれない。
「自立とは適度な依存」。つまり、柔らかな自発的つながりを保ちながら、他者を思いやり、支え合い、寄り添い合う関係性こそが、自立ということだ。「孤独」は、「自立」や「自由」「独立」「1人」「個性」とはまったくの別物であり、「人とは違う自分らしい生き方」でもない。
人生百年時代が到来する今、「孤独を飼いならせ」とうたうのは、定年退職後に30年間、「引きこもり」を推奨しているようなものではないだろうか。こうした「孤独信仰」の先にあるのは、「一億総引きこもり」の日本である。日本人が将来に希望を持てない根本にあるのは、誰もがひそかに恐れを抱いているこうした未来絵図なのではないだろうか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら