3月19日に日本銀行を退任した岩田規久男前副総裁が編集者となっている『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)は、戦前の昭和恐慌の教訓を基に2013年から黒田東彦総裁が率いる日銀執行部が実施しているリフレーション政策を論じた名著だ。投資戦略策定に欠かせない筆者の愛読書の1つである。
同書では、1920年代の低成長とデフレ、その後の昭和恐慌到来後に誕生した高橋是清大蔵大臣が金融財政政策強化によって恐慌を克服した経緯が詳しく書かれている。以下、同著を参考に、昭和恐慌から日本経済が抜け出した当時の経済情勢を振り返ってみる。現在の日本経済、政治動向の先行きを考える参考になると考えるからである。
大胆な金融緩和で昭和恐慌を救った高橋是清蔵相
第1次世界大戦のブーム期(1915~1919年)の日本の経済成長率は7.3%だった。ただ、1920年代の経済成長率は1.9%に低下、インフレ率はマイナス1.6%となり、1920年代後半からはデフレに転じた。世界大恐慌が始まるのは1929年だが、それ以前の日本経済は低成長+デフレという「慢性不況」に陥っていた。
1920年代は金本位制が各国で採用されたことから、日本でも、金本位制への復帰が検討される中で金融財政政策がかなり制限され、経済成長率を高める総需要安定化政策が実現しなかった。大戦ブーム期の反動、関東大震災後のショックに加えて、経済政策の機能不全が低成長をもたらしていたわけだ。
1929年に米国株市場の暴落で世界恐慌が始まると、当時の井上準之助大蔵大臣は清算主義に基づき旧平価での金本位制復帰を目指したことから、緊縮政策が実現した。このため日本経済は大収縮に陥り、10%を超える物価下落が生じるなど、1930年にはいわゆる昭和恐慌となった。
経済が大混乱となり政治情勢が緊迫する中で、1931年12月に誕生した犬養毅内閣で大蔵大臣に就任した高橋是清は、就任直後に金輸出再禁止によって金本位制度から離脱することで金融政策を機能させた。その後、1932年11月には、日銀による国債引き受けにより金融緩和政策を強化させたことで、貨幣供給量は5.6%に増えた。
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