2.26事件は「上司に恵まれない部下」の悲劇だ 「土壇場で梯子を外された」青年将校の末路

二・二六事件で反乱軍の兵士たちと話す青年将校の一人・丹羽誠忠中尉(左。写真:毎日新聞社/アフロ)
いまから81年前の2月26日、首都東京のど真ん中で、クーデター事件が発生する。「二・二六事件」──当時の陸軍青年将校による反乱事件である。
彼らは武装部隊を率い、首相官邸をはじめ政府要人の邸宅を次々と襲撃。東京の官庁街一帯を占拠して立てこもった。
一時は成功するのかと思われる状況も垣間見られたこの計画は、途中から一転して彼らも想像しなかった思わぬ展開により、わずか数日でもろくも崩れ去る結果となった。
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本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「二・二六事件」を解説する。
未遂に終わったクーデター
昭和11年を迎えた東京は、例年よりも雪の日が多く、特に2月25日の夜半から翌26日にかけては激しい吹雪で、30年ぶりとなる大雪が観測されるほどでした。
その悪天候の中で、完全武装をした複数の部隊が、東京の中心にあたる永田町の官庁街各所に、「夜間演習」と称して展開していました。
やがて部隊は、夜明け前の午前5時を合図に、首相官邸をはじめとする政府要人の邸宅と、警視庁をはじめとする主要官庁、朝日新聞社などを、突如として襲撃します。世に言う「二・二六事件」は、こうして幕を開けました。
当初の発表では、海軍出身の岡田啓介首相を含む関係閣僚の多数が死傷したことが報じられ(後に首相は無事が判明)、世間を大きく驚かせました。
事件の首謀者である陸軍の「青年将校」たちは、当時の停滞を続ける日本社会の現状を打開・打破すべく決起に踏み切ったものの、結局、クーデターは未遂に終わり、わずか数日であっけなくついえます。
この失敗の要因を探ると、「さほど能力のない上司に翻弄される、恵まれない部下が陥る悲劇」という、現代の私たちも共感したくなるような現実が垣間見えてきます。
今回は「二・二六事件」をテーマに、その経過と陸軍皇道派の青年将校がその派閥のトップから受けた考えられない仕打ちについて解説します。
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