2.26事件は「上司に恵まれない部下」の悲劇だ 「土壇場で梯子を外された」青年将校の末路
ズバリ、クーデター計画の「最大の欠陥」は、実行犯である青年将校らが頼りにしようとした「皇道派」の上官の将軍たちに、期待したような力がなかったことです。
「上の都合」で汚名を着せられるハメに
Q6. 決起した青年将校らも、その次の行動については「上官の将軍たち任せ」だったのですか?
そうなのです。決起した青年将校らは、「自分たちの役割はあくまで現政府を破壊し、政治の混乱を招くこと」と考えており、実際のシナリオもそこまでで終わりでした。
決起に際しての声明文(趣意書)でも、「『統制派』要人の罷免」と「『皇道派』の抜擢」のほかは、陸軍大臣に向けて「この混乱の収拾と自分たちの意図する新政府の実現に努めるよう要求」するのみで、具体性に欠けています。
そして、「ここから先は皇道派の将軍たちに実行してもらう」というあいまいな内容でした。
Q7. なぜ彼らは、自分たちで新政府を立ち上げなかったのですか?
「はじめから、そのつもりがなかった」からです。
現政府を倒し、政治の混乱を招いたあと、その先の新政府樹立に向けた具体的な行動については、彼らの「上司」である皇道派上層部の幕僚が、自分たちの決起に呼応して、暗黙のうちに引き継いでくれるものと考えていました。趣意書の内容にもその点がよく表れています。
Q8. ということは、事件は「青年将校と上層部の共謀」だった?
そのあたりは非常にグレーゾーンで、種々の記録をみても判然としません。
表向きには両者はあくまで無関係を装いつつ、青年将校らは日頃の接触から「自分たちの決起を上層部は暗に期待している」という確信を得ていたようです。
現に事件後すぐには、陸軍内の「皇道派」上層部がさも機に乗じる姿勢で、クーデター部隊を「蹶起(けっき)部隊」と呼び、趣旨に理解をみせたりもしました。最初の1日は、クーデター部隊に有利な展開もあったのです。
Q9. でも、上層部の将軍たちは立ち上がらなかった、と。
はい。最終的には立ち上がりませんでした。
同じ「皇道派」でも「青年将校と上層部」の間には若干の温度差がありました。そして決定的だったのは、このとき頼みとする「皇道派」上層の将軍たちには、青年将校らが考えるほどの陸軍を動かす力がなかったのです。
青年将校は、この「思い違い」に気づかぬまま、計画がまだ不完全ながらも、「上層部頼み」で計画を実行に移してしまったのです。
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