仏教流! プレッシャーとどう戦うか? 「おもてなし」よりも「おかげさま」

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そしてもうひとつ。仏教では、すべての人やものは相よって成り立っており、それそのものとして独立自存するものは何もない、という縁起観を説きます。考えてみれば、あるひとつの出来事に「自分」が関与している割合は、驚くほど少ないことに気づくでしょう。事業プロジェクトなどを考えてみても、ビジネスが高度に複雑化した現代において、他組織の力や過去のイノベーション、組織内のチーム力を抜きにして自分の力だけでできることなど、ほとんど無に等しいと言ってもいいと思います。アーティストでさえ、表現を受け止める側の人たちの存在はもちろん、制作活動を支えるさまざまな人の力で成り立っています。あらゆる業界において、その分野の専門性だけでなく、コミュニケーションスキルがよい仕事をするための必須条件となっていることも、納得できます。

「おもてなし」よりも「おかげさま」

今、この時代、この場所に自分がいて、この仕事をさせてもらっていること。よくよく考えてみれば、とても不思議なことです。「自分がそれを望んで、努力してやっと勝ち取ったポジションだ!」と、もし思っていたとしても、それを望む意志が育てられたこと、努力してモノになる能力を授かったこと、多くの人の支えによってそのポジションが用意されたこと……などを考えると、やはり何ひとつとしていただきもの、おかげさまでないものはないのです。今、世間の話題となるようないわゆる大きな成功を収めたとしても、それは不思議な巡り合わせによってそうなったのであり、そのような成功が今後も続くかどうかは、仏のみぞ知ること。プレッシャーを感じる必要なんて、ひとつもありません。

さて、これらの考え方は、日頃から仏教に親しんでいれば自然に導き出されるのですが、悲しいかな人間は、いつでもものの道理に従って考え行動できるほど、成熟してはいません。煩悩があり、感情があります。「わかっちゃいるけど、やめられない」式で、ものの道理として頭では理解しているのだけれど、心がついて来ない。私もそうですが、つい過去の成功や失敗にとらわれてしまったり、自尊心が前に出てしまって、プレッシャーに押し潰されそうになるものです。

だからこそ、そんなとき私は念仏を唱えます。私にとっては実際、南無阿弥陀仏の一声はプレッシャーをはねのける力を持っています。仏教の道理が織り込まれた南無阿弥陀仏の一声を聞けば、心がそれに感応し、体が自然とプレッシャーを脱ぎ捨てる、そんな感覚でしょうか。

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