プラザ合意から33年、1985年は何だったのか 失われた20年から抜け出せていない原因は

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85年にプラザ合意を受け入れたとき、日本経済は、すべてが変わった。円高も、バブルも、バブル崩壊も、失われた20年も、アベノミクスも、すべてプラザ合意が源流となっている。

30年ちょっと前のことだ。これを短いと見るか、長いと見るか。

日本=経済という図式は、世界に定着した。よく働く日本人は、欧米で「エコノミック・アニマル」などと皮肉っぽく呼ばれたが、日本人は逆に、それを皮肉とは受け取らず、誇りに思ったほどだった。

日本にとって、経済力こそ、国としての力の源泉だった。日本人は「経済は一流、政治は二流」という言い方を好んで口にし、何もかも、経済力で解決してきた。間違いなく日本は、経済力で世界中から一目置かれていた。日本は、尊敬はされていないが、注目はされているという状態だった。すべては経済だった。簡単にいえば、トラブルは、おカネで解決してきたのだ。

失われた20年が日本の活力を奪った

しかし、バブルがはじけてみると、失われた20年という長いデフレ不況がやってきた。20年は、日本経済の活力を奪うのに十分な長さだった。その間に東日本大震災があり、福島原発が大きな事故に見舞われた。2010年に経済規模で中国に抜かれ、第3位に転落したのは、日本経済が活力を失ったことを象徴していた。

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そして、この年から、中国の海洋進出が始まる。中国にとっては、世界第2位の経済大国になったことは非常に重要な意味を持っており、中国自身が、アメリカと中国の「G2」という言い方をし始めた。プラザ合意の無条件降伏から30年経ち、日本は、もはや、経済力だけで世界に立つということができなくなったのである。

そんな日本経済は、いまも、世界第3位を維持し、立派な存在だ。そう悲観するような状況でもない。むしろ、長い長い停滞にもかかわらず、よく、この地位を確保しているといっていい。

1985年の無条件降伏から30年余りの歳月が過ぎ、私たちの日本は、いま、そういう状況にある。

岡本 勉 ジャーナリスト

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おかもと つとむ / Tsutomu Okamoto

兵庫県神戸市に生まれる。1978年、東京大学経済学部を卒業し、読売新聞社に入社。千葉支局を経て、1983年に東京本社経済部の勤務となる。経済記者として、兜町を取材した後、日銀を担当し、1985年のプラザ合意に遭遇する。1987年からニューヨーク特派員となり、日米経済関係やウォール街を担当する。10月にはブラックマンデーを取材。1991年に帰国し、財務省、経済産業省、農水省、経団連などを担当する。大阪本社への出向を経て、2004年から東京本社メディア局でインターネットを担当し、インターネットサービスのYORIMOを手掛ける。2009年から2017年までテレビ新潟監査役。新聞、インターネット、テレビの三大メディアを担当し、現在は、BENsオフィスウルトラを主宰、代表を務める。

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