「少年ジャンプ」伝説の編集長が変えた男社会 ドラゴンボール、ドラクエを生み出した
――ジャンプ編集長として、まずどんなことに取り組んだのでしょうか
653万部という部数はもう戻らないと思っていました。それはパソコンやスマートフォンのように、一つの画面に漫画、ゲーム、アニメ全てが映る時代がやってくると、Vジャンプをやっていて確信していたからですね。そもそも、部数を増やすことに何の意味があるのか、といううっすらとした疑問も感じていました。部数増による収益だけではなく、単行本の収益、アニメ化されて入る収益の合計で勝負すればいいのではないか。「遊戯王」のヒットとかもあって、こうしたトータルの収益では過去最高になりました。
「共学化」によって変わったジャンプの作風
――ジャンプ編集部内のそれまでの空気をどう変えていきましたか
もちろん、編集部内の雰囲気をもっと自由に変えたい思いがありました。まず、男子校のようだったジャンプのあり方を、農耕民族社会と狩猟民族社会を足して2で割るような感じでオープンな雰囲気にしました。外の人間が自由に出入りできたり、編集部内では後輩を無理に飲みに誘わないといったような形に変えていきました。仕事は仕事、プライベートはプライベートという意識も徹底した。結果、男子校から共学校ぐらいの雰囲気にはなったんじゃないかな。女性の編集者はいなかったけどね(笑)。
――確かに「封神演義」や「テニスの王子様」などのように、90年代後半から女性ファンが付くような作品が目立つようになった印象があります
いわば共学化したことで、ジャンプ全体の作風にも影響が出たかもしれない。「友情・努力・勝利」という伝統は薄まったけれども、一方で「アンケート至上主義」は残した。90年代当時、約3万通のアンケートハガキが毎週送られてきました。早いものでは、火曜日の夕方には300通ぐらい届きます。これは「速報」と言って大変貴重な情報源でした。火曜日の夕方なら、その週の号で進行している原稿にぎりぎり反映させることができます。今ではインターネットが登場し、さらにツイッターなどのSNSで簡単に読者の声を拾えますが、当時からこのようなライブ感を持った誌面作りができていたのはジャンプだけでしょうね。
――つまり、アンケートが黄金期ジャンプを支えた源泉であったと
読者双方向の誌面作り、これがジャンプ創刊以来の一番の強みと言えるでしょう。子どもが参加できる、自分の声を反映させられる唯一の雑誌なのではないでしょうか。その情報もアンケートだけに頼っていたわけではありません。他によく参考にしていたものが、編集部の見学が自由なんですね。修学旅行のコースにもなっているぐらいで、学校の先生に引率されて何十人もの生徒が見学に訪れます。そこで若手スタッフが編集部の中を案内して説明したり、原稿を見せたりするわけですが、そういう時に「最近何が面白い?」とか聞いたり、さらに「グッズがあるけど、好きなもの持っていっていいよ」と言って、その反応を見て参考にしたりもします。
――ファン交流イベント「ジャンプフェスタ」も鳥嶋さんが編集長の時に始まりましたね
「ジャンプフェスタ」は毎年12月の2日間、読者を無料で招待するもので、毎年10万人以上が訪れます。「1年間ありがとう」という感謝の気持ちをファンに伝えることが目的なのですが、これも会場で読者の顔を見て、反応を見る、そしてそれを誌面にフィードバックすることをやっています。イベント自体は現場からの発案で、今や20年近く続いています。これもジャンプに受け継がれる新しい強みと言えますね。
(文:河嶌太郎)
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