U2にも影響を与えたビートルズ最後の演奏

「ルーフトップ・コンサート」で行われたこと

そういった状況を打ち破るための原点回帰プロジェクトのようなものとして発案された69年1月の「ゲット・バック」セッションはマイケル・リンゼイ=ホッグ監督のチームによって撮影された。レコーディングのエンジニアリングはグリン・ジョンズとアラン・パースンズが担当したが、紆余曲折あって仕上げは鬼才フィル・スペクターに任され、『レット・イット・ビー』のタイトルで、70年5月に最終アルバムとして発表されている。映画『レット・イット・ビー』の公開は、すでに書いたとおり、同年夏。日本での上映も8月末にははじまっていたはずで、高校2年生だった僕は夏休みのうちに、有楽町の映画館で観ている。

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など

いろいろなことが読み取れる映像作品だが、それはずっとあとになってから理解できたことであり、ギターに興味を持ちはじめたばかりの少年は、まずなによりも、ジョンのエピフォン・カジノとフェンダー6弦ベース、ジョージのテレキャスター・ローズウッド・プロトタイプ、ポールのマーティンD-28など、彼らが手にする宝物のような楽器に魅せられた。ジョージの提案で招かれたというビリー・プレストンが弾くエレクトリック・ピアノ(フェンダー・ローズ)の美しい音にも強く惹かれた。ジョージの足下で異様な存在感を放つ黒のコンヴァースにも憧れたが、楽器類だけではなく、そのシューズもまた、まだまだ文字どおりの高嶺の花だった。

ルーフトップ・コンサートで演奏されたのは、「ゲット・バック」「ドント・レット・ミー・ダウン」「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」「ワン・アフター909」「ディグ・ア・ポニー」の5曲。複数回演奏された曲もあり、計9テイクだったという。リトル・リチャード、サム・クック、レイ・チャールズらのハンドで腕を磨き、経験を積んできたプレストンの参加がいい刺激になったのかもしれないが、ビートルズの4人は、2年半もステージから遠ざかっていたバンドはとても思えない、しっかりとした演奏を生きいきと聞かせている。周囲からの期待は高まったに違いない。本人たちも手応えを感じていたはずだが、結局、この年の夏に『アビィ・ロード』を仕上げたあと、ビートルズは実質的に分裂してしまったのだった。

後進のアーティストにも影響

ビルの屋上でのライヴというなんとも魅力的な構図は、後進のアーティストたちにさまざまな形で刺激を与えた。

個人的にもっとも強く印象に残っているのは、U2が傑作『ザ・ジョシュア・トゥリー』のオープニングに収めた「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネーム」のミュージック・ビデオ。大規模な世界ツアー開始直前の1987年3月末、ロサンゼルスに滞在していた彼らはダウンタウン、7thストリートとメイン・ストリートの交差点に建つリカー・ショップの屋上で、グラミー映像部門賞も獲得することになるそのビデオの撮影を行なっている。厳密な意味でのライヴではないが、街の人々からの反応も撮影されていて、彼らがビートルズを意識していたことは明らか。マンハッタンのビルを船に見たて、ノラ・ジョーンズがその舵を操作しながら歌う、「チェイシング・パイレイツ」のビデオもなかなかだった。

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