「実際には1個ずつしか売れませんでした。売り上げはたったの3万5000円の大惨敗です。ショックでした」
打ちひしがれる竹内さんの横で、お父さんは
「売れたな!!」
と喜んでいた。父親として息子の作品が売れたことが、本当にうれしかったのだ。
「僕としては大惨敗なので『来年も行きたい』って言いづらかったんですけど、父親が喜んでいるので言ってもいいのかな?と思いました(笑)」
中学3年生の時には恐竜の作品で「ハンズ大賞」(東急ハンズが主催する立体作品のコンテスト)で佳作入選した。
中学卒業後は通信制の高校へ通った。将来大学に進学したくなったときに改めて高校の資格を取るのは大変だから、という理由だった。
そして高校1年の時、ハンズ大賞審査員特別賞を受賞し、賞金20万円を手に入れた。
「賞金を手に入れたのでワンフェスには行きやすくなりました。ただもう失敗はできません。『ガチのゴジラを作るより、少しネタっぽいゴジラを作るほうが売れそうや』とか色気が出てきました。今見るとちょっと恥ずかしいですね(笑)。リンゴの時の純粋さはないです」
そして出店したワンダーフェスティバルでは10万円売ることができた。
その翌年には30万円売れた。
作品を完成させるのに喜びを感じていた時期
竹内さんが振り返ると、この頃は作品を完成させるのに喜びを感じていた時期だという。
「完成させるのが楽しい時期は、しっかり物を見ていなかったり、作る過程が荒かったりします。そういう意味では今見ると恥ずかしいですね。ただそんなポンポンと作品を作る時期というのも、ある意味必要なのかもしれません。そう思ってもやっぱり恥ずかしいですけど(笑)」
20歳の頃、知り合いの原型師に、『月刊ホビージャパン』の怪獣特集に写真を載せてもらえないか頼んでみよう、と提案された。
『月刊ホビージャパン』の編集長には、
「素人の作品を意味もなく載せるわけにはいかない。でも君が作りたいというなら、小さい枠は考えてもいい。でもまずは完成してからだね。完成したら写真を送って」
と言われた。
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