占領下で高まるパレスチナ人の孤独と閉塞 「見過ごしている国際社会も大きな責任」

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:意識の変化を生みますよね。実感するところってありますか?

山村:一様ではありませんが、イスラエル人の中には「もともとエルサレムはイスラエルの首都だったのに今更なんで騒いでいるの」と言っている方も少なくありません。「自分たちにとっては当たり前のことではあるが、国際社会に正式にアピールできた、承認されたという形になるのでよかった。でもセキュリティの面で、治安が悪くなるのは心配だ」という認識が多いのは、現地でのイスラエル人へのインタビューを通して感じました。私たちのパートナー団体の人にインタビューをしたのですが、パレスチナ人もインタビューでも「ここは全てパレスチナなのに」という表現をしていて。エルサレムの人は特に自分たちの土地を収奪されているという状況がひどいので、イスラエル人がそういう発言をするのと同様にパレスチナ人も、「もともと私たちが先住民としてこの地にいたんだから、この地はパレスチナなのよ。どこにもイスラエルなんて国はないわ。認めてないわ」という発言を今でもする人は少なくありません。

問題の本質に目を向けて

:ぜひ多くの人に知ってほしい現地のことはなんですか?

山村:たくさんあるんですけど。日本では、「宗教紛争」とか「民族対立」とかそういった用語が使われることが多いのですが、私たちは「紛争地」という言葉を使うときはカッコ書きにしています。というのも、「紛争」というと対等な力を持った人たち同士が戦っているというイメージを持つ人が多いなと思うのですが、この問題は、世界No.1といわれるアメリカ後ろ盾にした強力な力を持ったイスラエルという国が、何も後ろ盾を持たないパレスチナという国家を占領して「いじめている」という言い方が一番しっくりくるような気がします。対等な関係では全くなくて。それは現地に行かないとわからない人も非常に多くて。「対話をすればいいんじゃないか」とか、「お互い平和に暮らせないのか」ということを日本人の方から非常によく言われるんですけど、実際に現地に来ていただくと、どれだけ力が不均衡かということを認識していただけると思っています。

対話をする段階にまだ立てないというのが大きなところ。対話は同じステージにいないとできないので、そこにいかに持っていくかというところで底上げをかなりしていかなければなりません。この問題を見るときに「宗教紛争」とか「民族対立」という目で見てしまうと、問題の本質を見失ってしまうかなと思っています。もともとパレスチナはイスラム教、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存していた歴史もありますので、そうなると「民族」や「宗教」が問題なのかというと、かなりそこはクエスチョンマークがつくところではないかなと。それらが利用されることは確かにあるとは思いますが。

:何が対立の原因でしょうか?

山村:やはり、片方が抑圧された状態で、経済的にも社会的にも非常に苦しい暮らしを強いられている。そこでどうしていわゆるテロリズムや自爆攻撃が起きるのかという論理ですが、人々を抑圧し続けると「沸騰した鍋に蓋が閉まっているような状態で、いつそれが噴き出してもおかしくない」状態に。そういった状況を生み出していること自体が原因だと思っています。それをサポートしているのは、強国アメリカももちろんですが、見過ごしている日本を含む国際社会も大きな責任はあるので、そういうところを見てほしいなと思っています。

:最後に、日本の方々にメッセージをお願いします。

山村:日本の皆さんは、エルサレムやガザというと非常に遠いと思われるかもしれませんが、私が中東の地にいながら中東のパレスチナの問題を見ていると、日本の問題と非常に重なるところが多くあるなと感じています。沖縄の基地問題であったり、今の政治のあり方であったり。逆に日本を知ることになっています。また、「より良い市民社会を作るには人々がどうあるべきか」ということを、パレスチナの方から教えてもらっています。どんな抑圧にあったとしても、イスラエル側に検閲されてはいますが、メディアも全部閲覧できるし、「それでも私たちは発信しなければいけない」という強い意志がある。「屈してはならない」という強いスピリットがパレスチナの人たちにはある。「おかしいことにおかしいときちんと言える市民社会」を持つパレスチナ人からは学ぶところが非常に多いです。ぜひ中東やパレスチナを見ることで、日本をより知る機会にしてほしいなと思います。

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