フランクによると、超大金持ち層が地位財の支出を増やすと、それに続くグループが「置いていかれまい」として地位財の支出を増やし、さらにその次のグループも地位財の支出を増やし、……といった連鎖が起こり、その帰結として、中間層以下の生活者への非地位財(たとえば「余暇」)への支出が圧迫されて、多くの人の幸福度が低下する現象が起こるのだという。
競争から「意識的に降りる戦略」を持とう
フランクは、消費行動の分析におけるJ・S・デューゼンベリーの功績を高く評価している。デューゼンベリーは、低所得者の貯蓄率が低いことに関して「他の人たちの支出が増えれば、無理して追いつこうとするから」だという。
たとえば、就職の面接にあって高級なリクルートスーツが有効だとしよう。おカネ持ちのご子息様が、高いリクルートスーツで面接に臨むとするなら、おカネ持ちでない家の子どもたちも競争上スーツのグレードを上げざるをえないし、そうなると、貧困家庭の苦学生もリクルートスーツに余計に支出せざるをえない。
ちなみに、皆が同じくらいグレードを上げたスーツを着て面接に臨むなら、スーツへの支出は全体で増えているが、一人ひとりにとっての効果は以前と変わらない。皆でリクルートスーツのグレードを下げる同盟を成立させたり、あるいは、「高いスーツは無能の証明だ」といった世論を作ったりできると面白いが、そうはいかないのが世の常だ。
地位財に関する、この種の競争は、意識しない物についても方々に張り巡らされている。簡単ではないが、この種の競争の幾つかから、意識的に「降りる」戦略を持つことができると、同じ支出に対して幸福度を上げながら、必要な貯蓄が確保できる。もちろん、貯蓄は、「残ったら貯める」ではなく、計画的に「先取りして貯める」方式で行うのが正しい。
さて、「地位財を意識的に無視せよ」と言っておきながら、筆者は傾向的に浪費家であり、おそらく地位財に経済的な実力以上に支出している実感がある。
昨年のクリスマスには、息子のスマートフォンを買うついでに、自分もiPhone Ⅹを買った。実用的には、前の機種で何の問題もなかったことは言うまでもない。
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