半沢直樹は、会社に飼われる社畜に過ぎない 懸命に生きる「ロスジェネ世代」VS「バブル世代」

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バブル世代の半沢直樹たちは銀行を辞めたくても、転職は考えない。プライドも邪魔して内にこもって我慢する選択をする。だから社内で虐められたら復讐を考える。現実には倍返しをしたら、4倍返しで首になる事は、本人が一番よく知っている。実は彼等は家畜ならぬ、社畜なのである。

では、果たして土下座をしてまで、ガマンして会社につながれなければならない理由があるのだろうか? もちろん言い訳はあるだろうが、「半沢直樹的な生き方」とは、所詮、楽をして高給をもらい、夢がなくても我慢をした方が得だと考える社畜以外の何者でもないと思う。

一方、「大人の大学」で講義をして改めて感じたが、ロスジェネ世代は極めて冷静だ。これまで良い時代など一度もなかったから、「ブラック企業」に勤めても割り切りがはやい。同時にIT世代でもあるから、情報に通じていて、実は何でも知っている。ネットビジネスで若い人が1億円を稼げる手法も検討する余裕もある。また、本物志向でもあるから、「聞く耳」を持っている。

だからこそ、彼等は「勇気を持って新しい価値観」を創造して行く流れの中に居るのだと思う。つまりロスジェネ世代は「体制内の理不尽」よりも、夢とロマンに挑戦する創造的未来に賭ける勇気を持っていると言っても過言ではない。

実は、「大人の大学」の感覚はアメリカだけでなく、日本以外の海外では当たり前の話だ。すなわち、転職して自分をステップアップさせるのが自然な感覚である。だが、日本社会は「真綿で首を締められる」ような、柔構造社会である。まるで転職をするのが負け組のような風潮まであるのだ。

確かに、半沢直樹は「バブル崩壊後、最大の視聴率をとったドラマ」として、しばらくは人々の記憶に残るのかもしれないが、所詮は一過性のブームに終わるのではないか。

最終回を見た視聴者のなかには、半沢直樹の生き方を肯定する向きも少なくないようだ。だが、私にいわせれば、「半沢直樹的な生き方」はあまりに視野が狭く、物足りなさばかりが残った。組織の中で努力するのは素晴らしい。だが、これだけの能力のある人材がなぜ同じ組織で復讐にも似た行動に、自分の全てを賭けなければいけないのか?

土下座までして守らなければならない情熱を、上司を追い落とす復讐に賭けるのは、いかんせん合理的ではない。一つの組織に縛られて選択肢をなくす人生より、グローバルに挑戦する人生の方が自分自身を生かす道だと思う。

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