「ラーメン凪」を率いる男の挫折とこだわり

何もないところから風を吹かせる

生田氏:周りを見渡すと、何かに挑戦しようとする時、ついつい「ダメだったらどうしよう」と考えてしまいがちです。けれど、やってみなくては結果が分かりません。圧倒的に「難しいんじゃない」という声の方が大きかったとしても、実際に動いてみるまでそれがどんな答えになるかわからない。「ラーメン凪」も、そうした「反対」の声を跳ね退けてできたお店でした。

四畳半から始まったラーメンドリーム

生田氏:01年、六本木に初出店を果たし、その後5〜6店舗を展開し仕事が順調に進んでいた矢先、自分の未来は、またしても行動によって大きく変わりました。赴任以来オープン続きで、まとまった休みがなかなか取れずにいたのですが、ある日急にニューヨーク(N.Y)へ行く機会が訪れました。

おりしも9・11の米国同時多発テロの冷めやらぬ頃で、連日の報道でずっと気になっていた場所でした。テレビやネットから流れてくる情報ではなく、実際にN.Yがどうなったのか、この目で確かめたいと思っていたんです。17歳の時に親父を亡くしたことも、自分が「死」を意識した考えや行動をする理由でもあります。

東京での責任者、エリアマネージャーとしての仕事もあり、前もって休みを取れるほどの余裕もなく、急にできた時間に、「今しかない!」と考え、とりあえずチケットだけを手に向かいました。

当時はN.Yだけでなく世界全体がテロへの恐れと警戒からか異様な空気に包まれていたような時期でした。そうした意味で、それまで以上に注目されている街でしたが、自分の目に映ったN.Yの人々は、とにかく逞しく眩しいものでした。悲しい出来事にも負けず、皆それぞれ自分の仕事を通じて、ただ前を見て生きていこうとする姿勢に、自分は仕事を通じて一体どのように関わっていけるのか、と考えるようになったんです。それからは、いち会社員としてお店を大きくするとか、そういうことではなく、自分の生き方を考えた仕事を意識するようになり、その後もその気持ちの確認のために、何度かN.Yを訪れるようになりました。

――未来の白地図に、少しずつ色が塗り足されていく。

生田氏:行動して、地図を塗っていく。それが結果として、今の「ラーメン凪」に繋がっているんです。結局、その数年後に私は東京でも知名度を上げた超人気ラーメン店を飛び出し、「自分の仕事」によって社会と関わっていきたいと行動を起こすことになりました。

当時、東京進出に成功し、会社も大きくなり、自分の仕事も、役割が少しずつ変化していきました。新しい事というよりも、ルーティン化する作業に、「自分じゃなくてもいいのでは」と考えるようになってしまったんです。こうした職場と自分の仕事像へのミスマッチの経験が、今、私が「働き方」を考える理由でもあります。

「ラーメン屋をイチからはじめる」。安定や高収入とは正反対の行動だったと思いますが、そこにベクトルを向けてしまうと、自分の仕事ではなくなってしまうと感じたんです。「無謀だ」と何度も言われました。最初は、現常務の夏山と二人で四畳半の小さなアパートに住みながら、寸胴鍋2つを用意して、ひたすらラーメンづくりの日々。お金も技術も、何もないところから始まりましたが、不思議と苦ではありませんでした。

ある時、歌舞伎町のゴールデン街にあるバーを、夏山の友人から間借りさせてもらい、そのお店の休みである火曜日限定でラーメン屋をオープンしました。当初半月に一度だったペースが、だんだんと週に一度、週に2、3日とどんどん増えていったんです。

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