「ラーメン凪」を率いる男の挫折とこだわり 何もないところから風を吹かせる

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――偶然の道が、ラーメンだったと。

生田氏:しかもまだこの頃は、警察官を目指している最中でした。ところが、生活費を稼ぐためだけに始めたこの仕事が、やり始めるととても面白くて。最初、私はアルバイトとして夜の時間帯を任されたのですが、接客だけでなく、いかに店舗環境をよくするかという店舗運営に携わることまでやらせていただいたんです。工夫と進歩に喜びを感じる自分にとって、日々それが体現できる「場」をはじめて与えられて、それが仕事になるということが、何よりの喜びでした。

警察官を目指そうと決めた時、期限は3年と決めていました。けれど心の比重は明らかに、ラーメン店の仕事に傾いていました。どんどんのめり込んで、アルバイトながら店長という責任のある職を任されていくうちに、「ここでとことんやっていきたい」と思うようになりました。それで前々からお誘いを受けていた「社員」として、この世界に入ることになったんです。21歳の頃でした。

失敗から学んだ「人心経営」の本質

生田氏:そうして偶然出会った仕事でしたが、ここではたくさんのことを学びました。この頃は、経験がない分、頭の中も真っ白の状態で、社長がビジネス書を読めと言えば、素直に読み込んで、そこでの気づきを付箋にメモして、日々の業務で実践していましたね。もともと、本や人から聞いて習った知識を、実際に自分で実践せずにはいられない性格でしたので、知識と自分の感覚の差分を埋めていくことが楽しかったのです。

――特性が活かせるぴったりの居場所に出会えました。

生田氏:ところが、このあとが「地獄」でした。店長としての店舗運営が評価され、その手腕を業績の悪い別店舗でも発揮して欲しいと、自分は地元の北九州から、福岡市内にある代表的な商業ビルの中にあるお店へと異動を命じられることになったのです。そこは、今では考えられないくらい最悪の店舗環境でした。

それまでの店長としての「実績」もあった自分は、意気揚々と改革に乗り出しました。一つひとつ、北九州の店長時代と同じように、改善をスタッフに指示していたんです。ところが自分が発する命令に、アルバイトスタッフはまったく言うことを聞いてくれません。一所懸命やればやるほど、熱を入れれば入れるほど状況は悪くなる一方。改革どころか、しまいには退職者が続出し、一時は店舗運営が立ち行かなくなるほどになってしまったんです。

「なぜうまくいかないのか」「北九州ではうまくいったのに」。考えれば考えるほど、「自分の頑張りが足りないから」だという結論に進んでしまい、自分を追い込むことによって補おうとしていたため、体と精神のバランスも限界に来ていました。このままでは、潰れてしまう、一体どこに活路があるのか……。ギリギリの精神状態の中で「お店をよくすること」だけに集中し、何度も自問自答する中で辿り着いたのが、「正論を押し付けても、正しい結果には繋がらない」ということでした。

自分の場合、正論さえ通せば、物事は正しい方向に向かっていくものと信じ、それに向かって「頑張って」いたんですね。現に北九州時代は、それでうまくいっていたという成功体験もあったわけです。でも福岡では、お店が正常に運営できなくなるという結果を招きました。変えなければいけないことに囚われていた自分は、その対象としてお店やスタッフばかりに目を向け、自分自身に気づかずにいたのです。

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