もう恋なんて、金輪際ごめんだ。目を閉じると思い浮かぶ、脳裏に焼き付いた後ろ姿。しっかりと記憶に刻まれる言葉の数々。心がズタズタに傷つき、もう二度と修復できないかもしれないと心配になることだってある――。
多かれ少なかれ、誰もがそれぞれのドラマを抱えている。そうはいっても、ドロドロ路線を突き進み、昼ドラ並みの壮絶な人生をまっとうするというのは、凡人にはそう簡単にできることではない。
ドラマクイーンの草分け的存在
平安時代はいわゆる女流日記文学が盛んに創出され、そこには、奔放に、そしてドラマチックに愛を生きた女性たちの姿がありありとつづられている。その中でも和泉式部ほど欲望の道をとことん極めた人は珍しい。危険な情事のパイオニア、ドラマクイーンの草分け的存在と言っても過言ではない、感情の激しさはこの有名な歌人のトレードマークだ。
藤原道長に「浮かれ女の扇」と落書きをされたとき、「アンタ、私の夫でも恋人でもないクセに……」というような意味合いの歌をその場ですらすらと書いて突っ返し、何事もなかったかのように立ち去った、という言い伝えもある。相手は時の権力者であり、雇い主でもあるので、そこまでダイレクトに反抗するにはなかなか勇気がいる。そのエピソードからも和泉ちゃんの大胆な性格がうかがえる。
しかし、桃色事情に関してかなりおおらかだった時代にもかかわらず、おとがめを受け、成敗されていたことから推測すると、彼女はただの恋多き女の次元を超えていたことは確かだ。では、和泉ちゃんの華やかな男遍歴はどのようなものだったのだろうか。
最初の結婚相手は橘道貞。「和泉式部」という女房名は、夫が赴任した和泉国と父の官名を合わせたものである。普通ならこの辺りで恋愛市場を卒業して、習い事ざんまいのマダム生活を楽しむはずだが、和泉ちゃんの恋愛伝説はここから派手やかにスタート。どちらかが不倫したせいか、早くも夫婦仲が冷めてしまい、いつの間に自然消滅状態。
そこで新しい彼氏ができるというところまではいいが、そのお相手は何と!冷泉院の第三皇子である為尊親王というチャラ男だった。受領(ずりょう)の娘、バツイチで子持ちだった和泉ちゃんとしては身の丈に合っていない人を好きになってしまったのだ。
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