宮が部屋に入ると、北の方は何事もないような様子だった。「お姉さんのところに行くと聞いたけど、それって本当なの? 言ってくれれば車を用意したのに」と話し、北の方は「あちらからお迎えが来たので」とだけ答えて、それ以上一言もしゃべらなかった。
ひぃーっ! この臨場感あふれるシーンで『和泉式部日記』が突然幕を下ろす。別居寸前の夫婦が目の前にいるかのような感じだが、よく考えてみると、和泉ちゃんがなぜそんなことを知っているのか。まさか障子のすき間からのぞいていたわけではあるまい。
そうなると、可能性が2つある。1つは帥宮から話を全部聞いた(男最低!)。そうじゃなければ、和泉ちゃんが顚末を自ら創作したということになる。
和泉ちゃんが最後に会いたかったのは
『和泉式部日記』は、「日記」と呼ばれているが、もともとは『和泉式部物語』と呼ばれていたようだ。三人称で書かれており、主人公は名前がわからないとある女という設定になっているというのはそのゆえんだが、これはまぎれもなく、和泉ちゃん自作自演の不倫物語だ。
恋愛は勝ち負けなんてないとよく言われているけれど、この作品を読むと、和泉ちゃんが勝利を収め、北の方はぼろ負けという結果を認めなければならない。その一部始終を文章化することによって、愛人の勝利は1000年経った今も色あせない迫力がある。北の方の身にもなってみてくださいよ……。
読者の共感を得るため、主人公はいろいろな試練を乗り越えながら、一途な思いに生きる控えめな女性として描かれている。しかしその中で、まれではあるが表面化する女の積極性というものも看過できない。
たとえば、5月5日の頃、川の水が増したということで、宮は女に歌を送る。当時の常識のとおり、女はそれに対して返歌を送るのだが、紙の端に「かひなくなむ」、つまり「言葉だけじゃ足りないよ、あなたが欲しい!」とそっと書き添える。女性が薄暗い家の中で男性が忍び込んでくるのを待つことしかできなかった時代にあって、その積極的な働きかけは珍しい。和泉式部が伝説となったゆえんは、恋人の数でも、禁断な恋でもなく、その大胆さにあるのではないだろうか。
恋多き女だった和泉式部の晩年についてほとんどわかっていないが、百人一首にこの歌がある。
今ひとたびの 逢ふこともがな
自分はもう長くないとわかり、「あの世への思い出に、あなたにもう一度だけ逢いたい」と歌っている。モテモテだった彼女は最後に逢いたかったのは誰だったのだろうか? 遊び人の為尊親王なのか? それとも帥宮敦道親王? または数々の愛人の1人だろうか。
「愛こそ人生」をモットーに生きた和泉式部が、最後にもう一度逢いたかったのは「新しい恋」なのではないかと思う。あの美しくて切ない気持ち、夜眠れない緊張感、胸が締め付けられるほど好きという感情をきっともう一度味わいたかったのではないだろうか。どんな長くて寒い冬でも、その先には必ず新しい春がめぐってくるものだから。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら