ユウマさんの人生にはもう1つ、「障害」があった。家族を捨てた父親の存在である。
有名企業のエリートサラリーマンだった父親は愛人をつくり、ユウマさんが生まれた頃には家を出ていた。父親は「数カ月に1度、家にやってくる人」でしかなかった。
父の愛人から「まるで乞食のようだ」
父親が家を訪れる日。深夜に2階の自室で眠っていると、決まって1階から大きな物音が聞こえてきた。姉と2人でそっとのぞき見ると、母親が包丁を持ち出し、「(愛人を)殺しにいく」と半狂乱になっている。「別れてくれ」「別れない」というやり取りを繰り返す両親。これが幼い頃、ユウマさんの目に焼き付いた家族の風景だった。
当時、ユウマさんら家族3人が暮らしていたのは、父親名義の都内の一戸建て。会社の給料は全額、母親に渡していたようだという。しかし、父親はそれらを理由に「責任を果たしているんだから、文句はないだろう」と開き直るような人だった。また、愛人からは時々、母親宛てに離婚を迫る電話があった。「いつまでも(夫に)しがみついて。まるでこじきのようだ」と言われたと、母親が泣いているのを見たことがある。
ユウマさんは母親のことを「お嬢さま育ちで、働いた経験もない。今とは時代も違い、簡単には離婚できなかったんだと思います。孤独で、かわいそうな人でした」と思いやる。
父親の稼ぎのおかげで、子ども時代、カネに不自由したことはない。会社経営者の子どもなども多く通う私立の小中学校を卒業した後は、別の系列の私立高、私大へと進んだ。アメリカでの短期の語学留学も経験。大学では本格的に部活に打ち込んだ。
その後、父親は定年退職。同じ頃、愛人とともに手を出していた副業がバブル景気の崩壊のあおりで破綻した。ユウマさんが20代半ばの頃、母親が病気で亡くなると、すでに抵当に入っていた実家から出ていくよう求められた。住まいを失った姉弟に対し、父親はその後もしばらく家賃を負担し続けたという。
ユウマさんは父親に対して憎しみしかない、という。一方で、大学時代に海外留学の約束を反故にされたことや、父親が勤める会社に入社できるよう便宜を図ってくれなかったこと、借金の形に実家を売り払われたことが許せないという。
しかし、実家を追い出されたのは、ユウマさんが社会人になってからの出来事だ。「世間の常識」という物差しを持ち出すなら、彼の訴えは甘えと言われても仕方ないのではないか。何より、家族をないがしろにしてきた父親など、私なら1日も早く縁を切りたいと思う。そう伝えると、彼からこう返された。
「父親はいつも、『カネは払ってるんだから、責任は果たしている』と言っていました。だったら、せめてカネくらいは、引き出せるだけ引き出してやる。エリートサラリーマンの家族というメリットくらい最大限享受させろ。僕たち家族はそんな気持ちでした」
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