22歳の元名門女子大生が貧困に喘ぐ深刻事情 学費払えず退学、パジャマ姿で取材場所に

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どうして、そんな現在を迎えてしまったのか、過去にさかのぼって、ゆっくりと話を聞くことにした。出身は関西、中学から一貫進学校に進んでいる。

「勉強は正直、かなりできました。中学3年のときに志望を京都大学に絞った。私、中学3年生から高校2年の夏休みまで、ベッドで眠ったことがほとんどないんです。机の下で寝ていました。足を折りたたまないと横になれなくて、すぐ目が覚める。また、勉強できる。意識して睡眠時間をとらないで勉強する、みたいな生活を3年間やった。家庭学習だけで1日8時間以上でした」

異常な睡眠不足。家から駅まで徒歩5分、目をつむって眠りながら歩いていることが近所で話題になった。隣人から「おたくの娘さん、いつも放心状態で歩いているけど大丈夫?」と心配される状態だった。

寝ないで勉強したのに成績が伸びなかった

「高校2年の夏休み前、河合塾の模試で京都大学がB判定だった。1年前に同じ模試を受けて、そのときもB判定だった。眠らないで勉強したのに成績が全然伸びなかった。それから、おかしくなりました」

勉強しようとペンを持つと、胸が痛くなって過呼吸になる。最初の異変だった。

「夏休みはいっぱい勉強しようと決めたけど、過呼吸が始まって宿題すらいっさい手をつけられなかった。2学期の始業式、どうしても学校に行きたくなかったけど、行きなさい、行きなさいって。でも、教室に入れなかった。勉強する場所に行くと悪寒がしたり、震えたり、過呼吸になったり。それで保健室通いが翌年3月まで続きました」

病院に行くと「うつ病」と診断された。リストカットとフットカット、不眠が始まって薬を飲むようになった。朝、時間どおりに起きることができない。高校2年の夏休み以降、一度も教室にも入ることができないまま、3年に進級した。

家庭にも問題があった。本人の説明によると、父親は横暴な人物で、母親は夫のモラハラで精神疾患になった。兄と姉は高校を卒業して逃げるように実家を出て、勉強ができなくなった石川さんは自宅でリストカット、フットカットを繰り返した。

「当時、私にはかなりのリストカット、フットカット傷があって、父親はそれを眺めて『本当に死にたい奴は、そんなところ切らねえ』って怒鳴った。死にたくて切っているわけじゃないと言ってくるから、違うと言い返しても『死にたいみたいなアピールをして、みんなの注目浴びたいだけ』って。傷だらけなのに、どうしてそんなことを言うんだろうって思った。SOSを出しているのにって」

高校3年の夏、両親は離婚。精神疾患になった母親は家を出て生活保護を受け、父親との2人暮らしになった。ストレスは増えるばかりで、勉強をすることもできなかった。成績は急降下した。目標としていた京都大学を受験できるような状態ではなかった。そこで東京にある私立女子大に志望大学を変更し、無事に合格して進学した。ここは名門と呼ばれる有名女子大である。

私大進学に反対だった父親は、学費以外は全部自分で稼ぐ条件で渋々学費を出した。女子大の寮に入り、日本学生支援機構から月11万3000円の奨学金を借りた。アルバイトで最低数万円は稼がないと、学生生活は送れない。

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