帽子愛好家が信奉するカリスマの切り開き方 一筋30年のデザイナーが味わった挫折と奮起

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――みずからの“能力”を省みない、断らない。

glico氏:その代わり、毎日泣いていましたよ。「あー、なんて分不相応な仕事を引き受けちゃったんだろう」って(笑)。でも、チャンスはそう何度も巡ってくるわけではありません。自分の能力に照らし合わせた時、大抵は不相応だ、と思うわけです。けれど、そこで尻込みしていては、チャンスは通り過ぎてしまいますし、同じチャンスは二度と訪れてくれないのは周りを見てわかっていました。

自分の能力以上に思える依頼であっても、とにかく手を挙げる。そしてあとは泣きながら仕事(笑)。そうして、少しずつデザイナーとしての実績を積ませていただく中で、お声がかかったのが、幼い頃に雑誌を眺めては憧れた、イヴ・サン=ローランでの帽子づくりだったんです。

「華やかな舞台から一転」帽子づくりの場を失って

glico氏:この時も、「イヴ・サン=ローランの日本のプレタポルテ(高級既製服)の帽子作りに携わってみませんか?」というご依頼をいただいて、二つ返事で受けたことがはじまりでした。今まで手がけた作品を見ていただき、1~2点試作品を作って見てもらうところからがスタートでしたね。ちょうどこの時期に、「アトリエglico」として独立して、他のブランドも含め複数の制作依頼を受けていたのですが、イヴ・サン=ローランでの仕事が増えるに従って、これ一本に絞るようになっていきました。

春夏と秋冬の2シーズン、本国フランスから“絵”が送られてきて、「今季はこれで」という形で毎回制作するのですが、思い返すといろいろな苦労がありました。広つばのキャノチエはサン=ローランの定番のアイテムですが、帽子の材料のサイズが決まっている場合、広げるためにひたすらつばの部分をひっぱりながら伸ばしていくのですが、指紋がなくなるくらい大変な作業でしたね(笑)。サン=ローランのメインの帽子である「トーク帽」の場合は、遊びのあるデザイン、曲線を出すためにチップ(木型の代わり)作りから始め、型入れをした際のフォルムの出方がイメージと違った時は、またイチからやり直すなど、これも苦労した思い出です。

また、当時は今よりも材料は豊富でしたが、それでも手に入らない素材はありました。例えば、“ゴールドのブレード”や“サン=ローランの色”など、ないときは探すのにもう本当に必死で駆け回って、それでもないときは自分で染めて色を出すことも。

そんな苦労の数々も、ショーを見れば一瞬で吹き飛びました。自分が作った帽子をモデルさんが被り、颯爽とランウェイを歩き世間から注目される……。帽子デザイナーとして、最上の喜び、報われる瞬間でした。

――幼いころに描いた、華やかな世界で生きている喜び……。

glico氏:ところが、そうした華やかな世界での、帽子デザイナーとしての幸せな舞台は、ある日突然なくなりました。イヴ・サン=ローランが別の海外ブランドに買収されることになり、どうなることかと思ったら、あっさりとポジションクローズ(部門閉鎖)が決まってしまったんです。「もうプレタポルテはやらないよ」と言われ……。独立してから20年近く、一人で日本のサン=ローランを請け負ってきたというデザイナーとしての自負も正直ありました。それらを一夜にして失う喪失感はかなりのもので、さすがに私も参ってしまいましたね。

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