帽子愛好家が信奉するカリスマの切り開き方 一筋30年のデザイナーが味わった挫折と奮起

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――みずから道を描いて、好きな世界へ飛び込んでいく。

glico氏:東京での学びの場に選んだのが、代々木に今もある帽子の専門学校、「サロン・ド・シャポー学院」でした。私が通っていた頃は、10数名ほどの少人数のクラスでしたが、全国から帽子好きが集まっていて、教えてくださる先生もとても親身にしてくださり、とても温かい家族のような存在だったことを覚えています。ここで、帽子愛溢れる先生と仲間に出会い学べたことで、“憧れ”だった帽子に対して、“愛情”を抱くようになり、それをたくさんの人に感じて欲しいと思うようになっていったんです。

上京して最初の2年間は、昼間は学校で学び、夕方からは名古屋時代に紹介してもらった帽子メーカーのお仕事で、百貨店やファッションビルで帽子の販売をしていました。朝から晩まで帽子漬けの日々で、学業と仕事を両立させるのは大変でした。けれども、やっていることがすべて、自分の思い描く帽子デザイナーの道に繋がっているんだと思えると、まったく苦ではなく、むしろ毎日が充実しすぎて、寝ている時間ももったいないくらいで常に寝不足気味でしたね(笑)。

――好きな世界にとことん浸かっていきます。

学校を卒業して働いてからが、学びと失敗の本番という感じでした

glico氏:といっても、まだまだ田舎から上京してきた「帽子好きの素人」に過ぎませんでしたから、学校を卒業して働いてからが、学びと失敗の本番という感じでした。

通常、2年間の基礎過程を終えて学校を卒業すると、皆どこかのアトリエに入るのですが、私の場合は違いました。とにかく自由に自分の思い描く帽子が作りたかったのと、アトリエに入ることで型にはまってしまい自由がなくなるのが怖かったんでしょう。今思えば若気の至りですが、仕事を受けながら独学するのが一番の近道と考え、アトリエには入らなかったんです。

まだ何者でもなかった私でしたが、縁あって学校を卒業後、ある帽子メーカーに就職できることになりました。就職と言っても、正式な就職活動をしていたわけではなく、アルバイト先でのスカウトがきっかけでした。取り扱いブランドに関わらず、お店に来られるお客さまにとって「一番似合う帽子を」と、バイトの身分を超えて接客していたのを、メーカーの方が見てくださって、それがご縁でお声がけいただいたんです。

「断らない」姿勢で繋がった世界的ブランドの仕事

glico氏:こうしてはじまった私の“新社会人”時代は、とにかく失敗と学びの連続でした。その帽子メーカーではデザインの仕事だけではなく、プレスや市場調査など、帽子全般に関わる仕事をさせてもらっていましたが、すべてが新鮮で、最初は周りに追いつくことで必死でした。今でも覚えているのは、入社初日のこと。カジュアルが普段着だった私は、ハイファッションに身を包んだ先輩デザイナー方に圧倒され、とても恥ずかしい想いをしたんです。「自分も先輩たちのように格好よくならなければ」。そうして外見も仕事も、見よう見まねで覚え、自分なりに磨いていきました。

そこで働かせてもらいながら、少しずつ社会人としての常識を身につけ、仕事を覚えていくうちに、同時にデザイナーとしての帽子デザインのお仕事も、業界の知り合いを通して少しずつ受けるようになっていきました。その中には、大女優や有名俳優、ミュージシャンなど、名もなき新人デザイナーでは怯んでしまいそうなご依頼もたくさんありました。しかし、そうした能力以上と思える仕事に対しても、私は一貫して「断らない」と決めていたんです。

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