46歳「コスチューム作り」で生きる女の稼ぎ方 高円寺の名店を18年であっさり閉じた理由

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卒業した後は、2カ月間ほどブラブラして、その後短期契約の仕事に就いた。

「最初に働いたのはクリーニングの検品のバイトでしたね。クリーニングに出された服のポケットの中など物品が入ってないか探す仕事です。

私、短期の仕事好きなんですよね。ずっと同じバイトをするのって嫌で。期間を決めていろいろなバイトをしたい派なんです」

アルバイト生活で暮らしていたところ、知り合いから編集プロダクションがアダルト本のデザイナー(レイアウター)を探しているという話を聞いた。

「デザイナーの知識はまったくなかったんですけど『やればできるんじゃない?』って言われて、じゃあやってみるかって入社してみました。まだパソコンでデザインする時代じゃなくて、レイアウト用紙を使っての手書きデザインを一から覚えました」

仕事はすぐに身に付き、以降8年間その会社で働くことになる。

すまきゅーさん以外は全員男の、なかなかむさ苦しい会社だった。

通勤が嫌いで…

「私、通勤が嫌いなんですよね。交通費かかるし、時間もかかるし。なのですぐ会社に住み始めました」

会社の床に気泡緩衝材(いわゆるプチプチ)や新聞紙を敷いてその上に寝た。

働いていると昼は会社からコンビニ弁当が支給され、夜は社長がご飯をご馳走してくれたのでほとんどおカネは使わずにすんだ。

ほとんど風呂には入らず、給湯器で頭を洗っていた。

小さい頃からサバイバルごっこが好きだったので、なんだか楽しかった。

「今思えばひどく非衛生的なんですけど、当時は何にも思わなかったですね。頭洗っていて、ふと後ろを向いたら副社長が立っていてビックリしたのを今でも覚えています(笑)」

しばらくして、ライターなどのたまり場になっていた会社近くに住む編集の家に転がり込んで寝泊まりをはじめた。もともと住んでいた家は、空けていてももったいないので知人に又貸ししてしまった。

最初は10万円だった給料だが、すぐに20万円以上もらえるようになる。それだけで食うには困らなかったが、締め切りさえ守れば、ほかは何をしていても怒られない職場だったので、セッセと副業に励むことになった。

「とにかくおカネを稼げる話がきたら何でもやってましたね。テレクラのサクラや、派遣型風俗店の電話番とか、裏っぽい仕事もしましたよ。私、世の中の裏を見るのがすごい好きなので、一般の人がやりたがらない仕事も進んでやりたいんですよね。何の縁もゆかりもないのに『働きます』って言った途端に企業秘密を見せてくれたうえに、おカネまでくれる。最高ですよね!!」

おカネ稼ぎはアルバイトだけに収らず、パチスロにハマっていた時期もあったという。

「周りの人たちがみんなパチスロにハマってて、私もつい1冊パチスロの雑誌を買っちゃったんです。それがなんか悔しくって。買ってしまったからには、勝たなければ!!って思って、それから毎日開店から閉店までパチンコ屋さんに通うようになりました。毎日データを取って、ご飯も食べずに打ち続けて、結果的に結構稼げましたよ」

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